日本語を学ぶ学生のみなさんへ

学生のみなさんへ

はじめに

 私が初めて中国を訪れたのは2005年だったと思います。勤めていた会社の海外事業部の中国担当として上海、南通を回りました。早いものであれからもう16年以上経ちます。おそらく日本と中国を40回ぐらいは往復していると思います。

 自宅は京都ですから中国から一時帰国する時は、たいてい関西空港に着きます。いつもなら入国手続きを済ませ到着ロビーに出ると、そのまま自販機でリムジンバスの切符を買い、JR経由で自宅に向かうので、特に誰かと言葉を交わすことなく自宅まで到着します。家に着いてからゆっくりと逆カルチャーショックを味わうことになります。

関空到着ロビー

関西空港(KIX)到着ロビー

コロナ禍での一時帰国

 2021年コロナ下での日本帰国は少し勝手が違いました。関空港内でPCR検査や14日間自宅待機の段取りなど、到着ロビーに到達するまで5つか6つぐらいのチェックポイントがあり、全部合わせるといつもより2時間ぐらい余計に空港ビル内に足止めされました。客の健康状態を確認しPCR検査の後、帰国後2週間の自主隔離時の説明など、一人一人にていねいに応対しつつテキパキと仕事をこなしてくれるスタッフの皆さんには頭の下がる思いがしました。

医療スタッフ つい2時間前まで中国にいましたから、いきなり日本式の応対を受け、とても癒される思いがしたのは、たぶん私だけではなかったと思います。

「お待たせしてすみませんでした」

「ありがとうございました」

「どうもお疲れさまでした。お気をつけて」

 日本で暮らしていれば、たぶん珍しくもない言葉です。日本人の中には、マニュアル的なそのような言葉を嫌う人もいます。ただ日頃中国で暮らしていて、言うことはあっても言われることはないこのような言葉をいきなり聞かされると、嬉しいと同時に、誇らしい思いにもなるというものです。

日中公共マナー比較

 中国人は公共道徳が今一つという国際的評価を受けているのはみなさんもご存知でしょう。どうも現状は日本とは両極端なようです。ただ日頃、学生さんと接している分には日本人と中国人の差を感じることはありません。むしろ中国の大学生の方が礼儀正しいと感じることの方が多いのです。整列

 どうやら日本と中国で、社会に出てから再教育のされ方が正反対なのではないかと思います。社会に出た中国の方々が、日本人から見て礼儀をわきまえていないと思うそもそもの原因は何なのでしょう。私は二つの原因があると思っています。

一つ目の理由

 まず一つ目は、やがては改善されるであろうと思われる理由です。それは、単なる環境の問題です。

列割り込み 例えば何かをもらうために行列する時、中国人はとりわけお行儀が悪いように感じます。しかしこれは中国人の本質ではないと私は思っています。それは、例えば10個の物があって、それを10人の人に配ろうとしている場合、中国人であろうが日本人であろうが、列を乱して我先に物を取ろうとしないでしょう。逆に人が10人いるのに物が9個しかない、あるいは9個しかない可能性がある時は、別に中国人でなくても我先に物を取ろうとするのではないでしょうか。

 過去、中国では人を押しのけて前に進む者、そして声を大にして要求する者が得をすることが多かったのでしょう。その名残が列に割り込む等の行為に現れているだけだと思います。中国の社会が整備され、人々の格差がなくなっていくにつれ、自分のことだけ考え、我先に前に進もうとする風習は消えていくように思います。

二つ目の理由

 しかし、中国人と日本人で本質的に違う点もあるのではないかと私は考えています。そして私が中国の大学で学生の皆さんに伝えたいことはここにあります。一言でいうと、仕事に対する考え方の差です。みなさんは社会に出ます、そして仕事をします。会社に勤めるのも仕事ですが、家でお手伝いをしたり、家庭を作ったり、子どもを育てるのも仕事です。

 学生と、社会人の違いは、仕事をするかしないかです。その差は、あなたが周囲の人に一方的に助けられて生活するか、あなたが周囲の人に助けられる一方、ある時はあなたが周囲の人を助けて生活するか、というだけの違いです。あなたが周囲の人を助けるという行為を、仕事というのです。

働くことの意味

 みなさんの中にはアルバイトをしたことがある人もいるでしょう。デリバリーの仕事、家庭教師、ビラ配り、なんでもいいです。それらの仕事は必ず誰か他の人の役に立っています。みなさんが図書館で1日勉強していたら、ご両親や教師は安心するかもしれません。しかし実際はあなたが勉強しても誰かが助かるわけではないのです。勉強した成果が、将来世の中の多くの人を助ける力になる期待があるから安心するのです。

仕事する人1

 働く(はたらく)という言葉の語源は「傍(はた)に楽(らく)をさせる」からという人もいます。真偽はともかく、働く、仕事するというのはまさにそういうことです。もちろん先ほど言ったように、自分の最も近い人、愛する人の幸せのために尽くすことも大切な“仕事”の一つです。しかし最高学府である大学や大学院を出た人に社会が求めていることはやはり、自分に近しい人々だけではなく、世の中のできるだけ多くの人を少しでも幸せにするような仕事です。

 私は化学の研究者として仕事人生を送ってきました。私が開発した製品はやはり誰かの役に立ったはずです。ただ役に立ったことに対して直接お礼を言われることがないのが少し残念ではありました。以前言ったことがあるかもしれませんが、私の上司にあたる人は、紙おむつや生理用品に使われる高吸水性樹脂を世界で初めて実用化した人です。世界中の赤ちゃんや女性を助ける仕事をしていても、みんながそれに感謝するわけでもないのです。技術者の仕事というのはそういうものです。そして、そのことを逆の立場で考えれば、社会で生活するということは、知らないうちに多くの人に助けられて生き続けるということです。だからあなたも誰かを助けることをしてください。

仕事する人2

 少し話が飛躍したかもしれません。社会人のマナーの話でした。卑近な例として、たとえばスーパーのレジ係の応対の違いを考えましょう。レジで並んでいて、前の客が何らかの理由で予想以上に時間をとってしまった場合、日本のレジ係は必ずと言ってよいほど

「お待たせしてすみませんでした」と言ってくれます。

 スーパーの店員の仕事は「お客様に気持ちよく買い物をしていただくこと」です。それなのに、たとえ自分のせいではないにしても、客の時間を奪うようなことをしてしまったのなら、一言詫びの言葉を入れるというのが仕事をする人というものです。極論すれば、もしお客様に不快な思いをさせたらそのスーパーの店員は「仕事」をしていないのです。

仕事3

 仕事を選ぶ時、また選んだ仕事に向かう時、この仕事は、今日の仕事は、どれだけの人の助けになるのだろうか、助けになる可能性があるのだろうかということを日常的に考えられる人になってください。中国の新しい世代の一人でも多くが、そういう思いで社会に出ていただけるようになってほしい、というのが一外国籍教師としての私の願いです。

 

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