人生初のハーシーズチョコレート
大学構内のスーパーにハーシーズチョコレートが売られていたので買ってみた。このアメリカメーカーのチョコレートを食べるのは初めてである。もちろん、日本にも売っているとは思うが、あまり関心を持ってお菓子売り場を眺めたことがないので、よくわからない。少なくとも昭和30年代生まれの私にとってチョコレートと言えば、森永であり、明治である。
舶来物(はくらいもの)というのはお菓子に限らず高級なものの代名詞であったのが私の子ども時代。舶来物のチョコレートというのも、かすかに記憶の中にある。が、そういうものは、たまに訪ねてくる親戚の叔父さんが持ってきてくれる高価なお土産の中に混ざっているような類のものであった。
「お菓子」という言葉でどういうものを思い浮かべるかというのも、世代によって違う。筆者の年代なら、チョコレートというのは別格だった。つまりキャラメルだの、キャンディーだのというものに比べて一段格上のお菓子の扱いを受けていたように思う。日常の「おやつ」の中には入ってこない。単に値段の問題かというと、実はそれだけでもない。
ハーシーズ(HERSHIY‘S)という言葉に反応してしまうのは、私より一世代上の日本人である。敗戦の1945年から51年にかけて連合国の進駐軍(といっても実際はアメリカ軍単独部隊である)による支配が行われた時代に幼年期を過ごした世代だ。彼らは「ギブミ―チョコレート」というフレーズを実際に使った世代だ。
当時の貧しい子どもたちは、進駐軍のジープを追いかけ、アメリカ軍の非常食であったチョコレートをせがんだという。意味もわからずひたすら叫び続けたのが「ギブミーチョコレート!!」という言葉だった(という。)アメリカ軍に軍用を供給していたのがハーシーズである。
大きいことはいいことだ!森永エールチョコレート
NHKテレビの「欲望の経済史」シリーズの高度成長の回に、森永製菓でチョコレートの宣伝を担当されていた方が出演されていた。
1964年東京オリンピック開催の年に発売され「大きいことはいいことだ。」の流行語を生んだ「エールチョコレート」のコマーシャルを担当された藤巻さんという方がインタビューに答えておられた。
「大きいことはいいことだ」のキャッチフレーズは、重厚長大産業で経済大国の道をひたすら駆け登る日本という時代そのものを表現している。
お菓子メーカーに勤める藤巻さんが、初めてチョコを手にしたのは、幼い頃、進駐軍にもらったもの。「ギブ・ミー・チョコレートですよ。まあ、あのう商品開発の仕事もやったんですけどね、もうあのアメリカのハーシーチョコレートが刷り込まれちゃってるんですよ。だからあんなにおいしいチョコレートはないんです、食べたことがない、今まで。どんなにおいしいチョコレート食べても、あれよりおいしいとは思わないんです。私はかろうじて…、かろうじてっていういい方変だ、戦前生まれなんですよ。なので栄養、まあ、不足。とにかくイモのつるとかね。ですから我々の同世代で、イモが大っ嫌いって、いっぱいいるんですよ。」
NHKスペシャル「欲望の経済史 日本戦後編」―奇跡の高度成長の裏で― から
ギブミーチョコレート!
私は1957年生まれであるから、進駐軍のジープが日本中を我が物顔に走り回る風景を直接見たわけではない。しかし我々の世代は、親からほぼ確実にこの話を聞いている。
中国の大学の売店で、買ったハーシーチョコレート。これ日本が貧しかったあの時代、皆が憧れた味か…。確かに古き良き伝統的な正統派チョコレートの味がするな、と一人納得しながら何気なくこのチョコレートについて調べていて、恐ろしい誤解に気がついた。
Wikipediaに解説されている。進駐軍が日本の子どもに与えていたチョコレートの味は、いわゆる現在のハーシーズチョコレートの味とはかけ離れたものだったらしい。
以下Wikipediaからの抜粋要約である。
軍はチョコレートを非常用食糧と捉えていたので、嗜好品として気軽に食べられないよう「茹でたジャガイモよりややマシな程度」という味に設定した。美味しいと、兵士がすぐ食べてしまい、非常食としての価値がなくなるからだ。大切なのは炎天下でも融けない耐熱性だけであった。
Wikipediaより
そのジャガイモよりややマシな程度のチョコレートの味が、その後食べたどんなチョコレートよりもおいしく忘れられないと前述の森永製菓OBの藤巻さんはおっしゃっているのだ。
幸せとは何なのか?
もちろん、幸せの定義は相対的なものだ。
しかし、たった70余年前の子どもたちが、我も我もと群がって憧れたチョコレートが、故意に味を悪くし「保存」されるよう作られた品物であったということに、心が締め付けられる思いがした。
そして、そのイモより多少うまく作られたチョコのために、それまでは鬼畜米英と鬼扱いしたアメリカ軍兵士たちに、群がり、媚びを売った子供たち。そして彼らの親の世代の日本人は、悔しさに断腸の思いでその光景を見つめていたに違いない。だからこそ日本人は必死の思いで復興をとげ、現在の豊かな日本を作りあげたのだ。
筆者は幸せな時代に生まれた。しかし、その幸せを、実感することができているのだろうか。1枚7元のハーシーズのチョコレートを食べながら、幸せとはいったい何なのだろうと、つくづく考えてしまった。
以上。
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