日本語の起源は内モンゴル自治区、遼河上流のキビ栽培農夫?

日本語の起源

日本語の起源に新説?

 とても素敵な日本語の起源に関する新説が発表されました。

 日本語起源を遺伝学、考古学、言語学の三方向から検証した結果、そのルーツは約9000年ぐらい前、今で言う中国東北地方の遼河(りょうか)の上流地域、(内モンゴル自治区)に住んでいたキビ・アワ栽培の農耕民だったという論文が11月10日ネイチャーに発表されました。ドイツのマックスプランク研究所を中心とした国際研究チームによるもので、大規模な調査による検証が行われています。

 遺伝学、考古学、言語学の三方向からというのが、なにやら胡散臭そうですが、実は日本語、韓国語の起源に関しては、謎が多く混とんとしていて、「現場に犯人の指紋があった」「容疑者にアリバイがない」「被害者とトラブルがあった」等など、いわゆる「状況証拠」を蓄積することで真実を浮き上がらせるような方法が、有力なようなのです。

従来の考え

日本人の来た3ルート

日本人の来たルート

 日本人のルーツが、北のシベリア経由で日本列島に移動してきた人の集団であることは、遺伝子解析の手法が使われるようになり、明らかになりました。

 比較的早い時期に(2-3万年前)に北方(シベリア)ルートから流入した人々が、いわゆる「原日本人」となりました。その後、対馬ルート、沖縄ルートで大陸から大量移住があり、これら3グループが混じり合って今の日本人になったのです。

 ただ従来考えられていたのは、沖縄ルートは別にして、北方ルートでやって来た人々、対馬ルートでやって来た人々の多くは、ユーラシア大陸を長距離移動してきた、今の遊牧民族につながる力強い(ある意味好戦的な)人たちの一部が分派して日本にやってきたと考えられていたようです。

 言語学的にも、日本語がアルタイ語族(トランスユーラシア語)に属するであろうことは、以前から、下記の表のような比較言語学的見地から推定はできたのですが、上のことは、それを遺伝学的にも裏付けたということになります。

 しかし、日本語をアルタイ語族の一つであると結論するには、日本語に他の要素が混じりすぎているというのがこれまでの状況でした。

各言語の比較

西遼河のキビ栽培民!!

 私は中国生活10年になります。あまり学術的な生活を送ってはいませんが、日本人や日本語の起源に何となく興味があります。そういう私が日頃思っているのは、日本人のルーツが中国人であるとは実感として信じられない、ということです。日本人と中国人は、どこかしら根っこのところで違うのではないか、というのが私の考えです。

 私がこの夏、猛暑の中、中国初の城壁国家「良渚」を見物に行った時、心に描いた妄想を書きだしておきましょう。(詳しくは元記事へのリンクをクリックしてください)

 日本の縄文時代は、近年考古学上の発見が相次いで、前後の区切りがまだ確定していないものの、だいたい1万数千年前から二~三千年前まで一万年程度は続いた時代である。そして後期縄文時代は良渚文化の時代に重なっている。お隣の大陸で歴史時代が始まるという大変化があっても、日本が変わらなかったのは、変わる必要がなかったからだと言われている。それはつまり争いごとが少なく、平和な時代であったということだ。

縄文の暮らし

縄文時代の暮らし

 そのような日本人、つまり争いごとを好まず、それゆえたいした進歩もせず、比較的おとなしく暮らしていた人々は、いったいどこからやってきたどんな人たちなのだろう。もちろんどこからという問いには既に回答はでている。縄文期なら北方ルート、朝鮮・黄河ルートより、長江ルートから稲作技術を携えてやってくる人たちが少なからずいてリーダーとなり従来の縄文人と融和して生活していたにちがいない。

 では、彼らは何ゆえにやってきたのか。いくらDNAを調べてもそれだけは分析不可能かもしれない。しかし大陸における争いの敗者、あるいは、はなから戦いを好まない心優しき一群の人々が、あえて故郷を捨て、海を越え日本を目指したのではないか。ほぼ脱水状態となってぼんやりした頭で、私は思ったのである。

猛暑の良渚で思ったこと
良渚遺跡公園は予想より広かった。遺跡区として世界遺産に登録されている分だけでも14.3平方キロ、渋谷区より少し小さい、東京ドームなら300個分、といってもわかりにくい。この広大さは実際に現地へ来るとわかる。

 

 だから私にとって、今回の新説はとても素敵なのです。

 つまり、日本人は、いわゆる遊牧民ではなく、まったく系統の違うキビやヒエ、どんぐりなどを栽培、採集して生活することを選んだ人々が、最終的にシベリアルートから流入した原日本人より優位となって日本語を、即ち日本人を形成する元となったということを主張しているのですから。

コメは?

 米作をしていた人たちはどうなったかというと、

 以下は考古学データベースから推定した流入経路ですが、9000年前を起点として、遼河付近から移動したグループに、朝鮮半島で3500年前合流、その後まとまって対馬ルートで日本へ来た、としています。

 Spatiotemporal distribution and clustering of sites included in the archaeological database.

Spatiotemporal distribution and clustering of sites included in the archaeological database.

言語学的手法

 遼河付近のキビ栽培農家を特定した方法は、主にベイズ法という統計的処理によって推定しているようです。(この辺りは私には難しすぎ…)

 その言葉が使われた地域と時代のデータから言葉の出発点を次々に推定していくことで、言葉のルーツと分岐点を推定するという手法のようです。

 結果だけ言うと、遼河付近にルーツを持つ言葉が「植物」、「成長」、「耕作」、「キビの種」、「キビの粥」、「ヒエ」、「発酵」、「醸造」、「クルミ」、「粟」、「どんぐり」、「縫う」、「麻」、「豚」、「犬」などで「米」や「牛」は別起源。

 大陸の南から「米」、「小麦」、「大麦」、「牛」、「羊」、「馬」、「シルク」という新しい語彙グループが挿入後世になって混じり合ったと結論づけています。

 下図を見ると、なかなか美しい結論だと思ってしまいます。

 Integration of linguistic, agricultural and genetic expansions in Northeast

Integration of linguistic, agricultural and genetic expansions in Northeast

 とはいえ、これもたくさんある学説の一つ。まだまだ興味は尽きません。

 

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