【語源】馬に関連する言葉の由来

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馬に関連する言葉の由来を調べてみました。

馬が合う

ウマが合う二人

ウマが合う二人

 いつも意気投合する人とは「馬が合う」、どうもしっくりいかない人とは「馬が合わない」といいます。

 これはかつて自動車も電車もな、馬が大切な移動手段だった時にできた言葉。馬とそれを引いたり乗ったりする人との相性はとても大切でした。

 人と馬との相性がいい時「馬が合う」と言っていたのです。それがやがて人と人との相性も表す言葉となったようです。

馬脚を露わす(ばきゃくをあらわす)

「馬脚」の演技

「馬脚」の演技

 

 「馬脚を露わす」とは、隠していた本性、悪事が表面にでることです。「馬脚」というのは芝居で馬の脚を演じる役者さんのことです。その役者さんが、誤って自分の足を見せてしまうことからこの言葉ができました。

 「長く潜伏していた凶悪犯がついにその馬脚を露わして逮捕された。」というように使われます。

 

下馬評

 武士の時代、幕府を訪問する武士たちは馬に乗ったまま幕府に入ることはできず、「下馬」というところまで来ると馬から下りて歩かなければなりませんでした。

 この下馬には「下馬札」が立てられており、登城した武士の馬を世話する人が残り主人を待ちます。その他の人々もたくさん集まり、幕府を訪問する武士たちの噂話や人物評などを話していたそうです。

 そこから世間の噂や評価のことを「下馬評」というようになったのです。

下馬札、鶴岡八幡宮に向かう下馬

(左)下馬札、(右)鶴岡八幡宮に向かう下馬

(上図は「コトバンク」からお借りしました。)

じゃじゃ馬

じゃじゃ馬

じゃじゃ馬

 

「じゃじゃ馬」というのは、気が強く、周囲の人が手を焼くような女性のことをいいます。なぜか男性には使わない言葉です。「うちの娘はじゃじゃ馬で困ったものです。」という風に使いますが、これも、もとは手に負えない暴れ馬のことを指しました。

 「じゃじゃ」は、「いやじゃいやじゃ」ということばの「いや」が消えたものということです。

やじ馬

やじ馬

やじ馬

 事件が起きた現場などに、人々が、自分とは関係ない事件なのに、興味本位で集まってきます。そんな風に遠巻きに見物している人たちを「やじ馬」というわけですが、この言葉は「おやじ馬」を略した言葉ではないかと言われています。

 「おやじ馬」とは馬のお父さんではなく「年老いた牡馬」のこと。若い時は群れを率いていた牡馬も、年をとるとリーダーを譲り、群れの後ろからついていくようになります。

 そこから、人の後ろをついて歩く人を「おやじ馬」と言い、それが略され「やじ馬(野次馬)」と言うようになりました。それがやがて現在のような意味で用いられるようになったそうです。

当て馬

 相手の反応を見るために、本命の代わりをさせる代役のことを「当て馬」と言います。野球で「4番に知らない選手が入っているのは当て馬にちがいない。」などと使います。

 これは競走馬の繁殖に関わる習慣からできた言葉です。優秀な牡馬は「種馬」として非常に多くの雌馬に子どもを産ませる役割があります。それを効率的に行うためにどうするかというと…

 まず牝馬にイケメン(?)の牡馬を近づけて牝馬をその気にさせます。

 この牡馬が「当て馬」と呼ばれ、彼の役割は牝馬をラブラブの気持ちにさせることです。この時、種馬はじっと待っています。

当て馬が牝馬にアプローチ

 牝馬がラブラブ気分になったら、そこで「当て馬」の役目は終了。種馬の出番となります。

当て馬に代わり種馬登場

 なにやら納得のいかない方法ですが、こういう方法で馬の血統はつながれていくようです。

 「当て馬」とは「種馬」の代役を務めさせられる馬のことで、それが人間にも転用され、誰かの代わりに使われる人を指すようになったわけです。

埒が明かない(らちがあかない)

 物事がなかなか進展しないことを「埒が明かない」といいます。「まずは予算が決まらないと、このプロジェクトは埒が明かないね。」というような使い方をします。

 この「埒(らち)」は「馬場の周囲の柵」のこと。『大言海』ではその語源を「加茂の競馬(うまくらべ)の、見物人の待ちわびて言える語に起こる。仕事のはかどる、決まりのつく。」というように説明しています。

 毎年5月5日に京都上賀茂神社で「競馬神事(くらべうましんじ)」が行われます。以下がその写真です。「埒」の外で人々が競馬を見物していますね。(ちなみに、この「競馬(くらべうま)」は、今日本全国で広く行なわれている競馬(けいば)の起源となった行事だそうです。)

上賀茂神社 競馬神事(くらべうましんじ)

 人々は「埒(らち)」の外で神事を見学します。1年1度のこの神事が始まらないことには物事が始まらない。「埒が明く」とはこの行事が行われ1年が新たにスタートすることを意味したのでしょう。

 「埒が明く」は「開く」ではないので「柵が開いて馬が登場する」という意味ではないことに注意しましょう。

 また人々は必ず「埒」の外から見学しなければならず、「埒」の中に入り込んでくる人のことは「不埒なやつ」と言ったようです。

以上「そうだったのか、語源の謎」(河出書房新社)、新版日本語「語源」辞典(Gakken)、「地団駄は島根で踏め」わぐりたかし著(光文社新書)などを参考にしました。

 

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