虹は何色(なんしょく)?
たいていの日本人や中国人にとって虹は7色です。しかしアメリカでは6色、ドイツでは5色が主流で、更に少ない国、逆に多い国もあるらしく、国によってずいぶんと異なるそうです。
民族によって虹の色数が異なることは別に不思議なことではありません。そもそも光のスペクトラムというのは連続的な物理現象ですから、実際はどこかに境目があるわけではないからです。人間が言葉によって勝手に切り分けているにすぎないのです。
つまり、
なのです。
日本では「白黒赤青」が特別な色
語法
日本語の色に関する言葉、いわゆる色彩語は色によって文法規則が異なります。たとえば「青」とか「赤」のように、色名の後に「い」をつけて形容詞化できるのは「白」「黒」「赤」「青」の4色だけなのです。
「白い」は言えても「黄い」「緑い」は言えませんね。「黄」は「黄色い」と言わねばならないし、緑にいたっては形容詞にする方法がなく「緑の」という形でしか名詞を修飾できません。
よく使う基本11色について、名詞を修飾する場合の言い方は次の表のように大きく3つのグループに分かれるということになります。
「白い雲」「黄色い花」、「緑の木の葉」というように、色によって名詞を修飾する時の方式が違うということです。
どうしてこうなるかというと、こういうことです。古代日本人が最初に認識した色というのがあって、それが「白黒赤青」の4色だったと考えられています。いちばん古い「色」なので、しっかりと日本語の文法の中に取り込まれているというわけです。その次に古いと思われる黄と茶については、やや中途半端。それ以外の色はずっと後になって認識された色なので、形容詞としての用法すらできなかった。
また「白黒赤青」の4色に関しては他の色にない①「白々と」というような「AA重ね型」がある。②「真っ赤」のように、接頭辞「真」がつく。③「さ、み」をつけて名詞化できる、など、他の色にない用法も、きちんと揃っているのです。
語源
語源に関してもこの4色は素性があきらかです。「あか」は「あかるい(明るい)」から、「くろ」は「くらい(暗い)」からの言葉であることは容易にわかりますし、「あお」は「あわし(淡し)」から、「しろ」ははっきりとものをマークする「しるし」からきていることがわかっています。
- 暗い ⇒ くらい ⇒ 黒い
- 明るい ⇒ あかるい ⇒ 赤い
- 淡い ⇒ 青い
- しるし ⇒ しろし ⇒ 白い
そして日本古来の「相撲」の土俵上には「白黒赤青」の四色を使った「白房」「黒房」「赤房」「青房」がぶら下がっています。
「白黒赤青」は、日本語の中では、一段上の色彩ということは間違いないでしょう。
青信号の謎
日本語の色にまつわる話で、もう一つ「青」色の謎があります。「青信号」「青りんご」「青菜」…多くの「緑」色のものが「青…」と形容されるということです。
これについては、日本人は青、緑を含む寒色をすべて青と呼んでいたということのようです。
時代と共に色彩感覚が磨かれてきて、「青」だけでは言語活動に不便を生じて、元来色の名前ではなく「若々しい」という意味であった「みどり」を、いわゆる「Green」の色彩を表すために借りた、というのが「緑」の成り立ちと考えられます。
従来の意味の「みどり」つまり「若々しい」という意味の「みどり」は、「みどり児」「みどりの黒髪」といった言葉に残されているのです。
バーリン・ケイの色彩理論
色を表す語に関するとても有名な仮説があります。人間が色を表す言葉を知覚する順序は「白と黒」の区別が第一、その次が「赤」続いて「緑か黄」となるというのです。
色彩の知覚順序は「人類共通」というわけです。バーリン・ケイの提示した順序をわかりやすく色で示すと以下のようになります。
バーリン・ケイの仮説では緑が3,4位、青が5位に位置しています。
まとめ
以上まとめますと、
- 1.日本の古代の基本色は「白黒赤青」の四色である。
- 2.日本の古代の「青」は「緑」を含む。
- 3.バーリン・ケイ仮説で示される色彩の認知能力の進化は「白黒」→「赤」→「緑or黄」の順である。
ということになり、実は日本人の色認識も決して独特のものではないことがわかります。なぜなら「白黒赤青」の四色と言う中の「青」は前述のように「緑」を含む寒色全般と読み替えるのが妥当、つまり緑と考えて差し支えないということだからです。
だから、本記事表題の「白黒赤青」の4色は日本”独特”の4原色か?というのは、決して独特とは言えない、むしろ人類共通の傾向であるということになりますね。
ただ、日本語について「これはすごい!」という点は、実はべつのところではないかと思います。それは、現代日本語においても、バーリン・ケイの言うところの初期段階の色である「白黒赤緑(=青)」の4色だけが形容詞化できるなど、他の色と区別されていること。
それはつまり、数千年の時の流れの中で、日本語の中に古代の日本人の色彩認識法が化石のように残されている、というすごさではないでしょうか?
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