みなさん、こんにちは。2019年に南通大学を卒業しました15級の徐帆と申します。勝川先生にお声がけいただき、こちらで私自身の日本語学習の感想をお話しさせていただきたいと思います。私は大学卒業後2年間、日本語教師をやりました。教師として専門を極めるため、今年から大連外国語大学で日本語教育専攻の大学院生をしています。
スロー・スターターだった学生の頃の私
私はどちらかといえば気づきの遅い人間なのでしょうか。大学1年2年の時、みんなが一生懸命勉強しているとき、私はけっこうサボっていました。たとえるならば、とりあえず借金して当面の生活を楽しんでいたようなものです。しかし、借りたものは、いずれは返さなければなりません。3年生の時、やっと勉強に目覚め、ちゃんと日本語が話せるようになろうと決意しました。
同級の銭さんと一緒に、よく日本語広場に行ったことなどを覚えています。そういう場では、年下の後輩たちにも日本語が上手な人がたくさんいて、いつもやめてしまいたい衝動にかられました。しかし、やはり最後まで頑張ろうと、いろんな方法で日本語能力の向上に努めました。あの頃のがんばった経験が、その後の日本語教師生活の基礎をつくってくれたのだと思います。
大学4年生、進路で悩む
大学4年生になると、クラスメイトの多くは既に将来の計画をもっていました。留学したり、大学院受験や公務員受験を準備したり、各々が描いた将来に向けて頑張っているのがわかりました。自分はやはり勉強には向いていないのかなと思い、一応就職活動に取り込んでいました。
通訳、日系企業、外国貿易など、いくつかの業界・職種に応募して面接しましたが、あちこちで壁にぶつかって、思うようにはいきませんでした。私がどれだけ貴重な大学四年間を無駄にしてきたかを、その時になって思い知りました。みなさん、時間を無駄にしないでしっかり勉強し、できるだけ早い時期に明確な目標を立て着実に努力することをお勧めします。
最後に選んだ日本語教師の道
紆余曲折を経、最終的に高校で日本語教師をする道を選びました。こんな自分に本当に教師が務まるかなという思いを持ちながら、日本語を2年間教えました。
そして結果的に私はこの仕事にけっこう向いているのではないかと思うようになりました。私の学生の進歩も順調で、大学入試に向けた勉強で、クラス全体の平均点を40点ぐらい上げることができました。一番うれしかったのは、普段の勉強が一番悪かった子が、最後に日本語の試験で100点を取って、南京中医薬大学に合格したことです。
大連外国語大学 日本語教育専攻科へ
私には負けず嫌いな面もあるので、仕事では自分の足りない部分を補うために、多くの時間を割いて勉強してきました。が、やはり仕事をしながらでは限界があります。ですから、一度学生に戻って日本語教育について学びなおすため、今年から大連外国語大学の大学院に入って勉強しています。
大学院では、読むべき本がいっぱいあって、忘れてしまった英語を使う授業などもあって、生活はまたとても忙しくなりました。昔、落としてしまったものを、拾いなおして補うような気持ちです。しかし今回は、再び借りもので済ます必要がないように、いろんな能力を本当に自分のものにするために頑張っています。借りたものは、いずれ返さなければなりませんから。
これから
これからの人生については、まだ不確実な部分が多いです。しかし、ここまで来れてとりあえず良かったと思えるのは、私は決して物事をあきらめないからではないかと思います。自分には勉強が向いていないと思っているのに、それでもあきらめずにまた勉強しているのは、何かおかしいと思われるかもしれません。
しかし、人間というものは、いつも、なんらかの勉強をして向上していこうとする運命から逃れられない生き物なのだと思います。勉強すればするほどわからないことが多くなるような気もします。しかし、わからないことが多くなっても、今の私は前に失った自信を、確実に取り戻しつつあります。優秀な学生とは言えませんが、やろうと決めたことは必ず結果が出るまで頑張っていこうと思います。
みなさん、いっしょに頑張りましょう。
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