史と申します。日本語学科14級で、2018年に南通大学を卒業しました。なぜ日本語科を選んだかというと、うまく言えませんが、日本語という媒体が私にとってきっと将来役に立つと考えたからです。
学生生活、プラス運命の出会い
一年生二年生の時は、遊ぶのが好きで、あまり勉強しなかったので成績はあまり良くなかったですね。でも、クラブ活動などに積極的に参加していたこともあって、日本語科の学生会の会長をしていました。
三年生の時のことです。大阪から桃山学院大学の学生が南通大学に留学に来て、私たちと交流しました。あるパーティーで、趙君という日本の学生と知りあいました。現在の私の彼氏です。彼の出現は私の将来の計画を変えました。
趙君は日本に住む中国人です。実は、第一印象はよくなかったのです。私のつたない日本語をからかわれたからです。でも、一緒に食事をして、彼といろいろな話をするうちに、お互いに引かれるようになりました。一ヶ月後、彼から告白されて、私たちは恋人同士になりました。それからの三ヶ月は幸せな時間でした。けれど、短期留学生だった彼は日本へ帰らなければなりませんでした。
趙君は私と結婚したいと言ってくれました。私も彼を理想のタイプと思っていたので、私たちはこの恋愛を諦めませんでした。趙君が日本に帰った後、私たちはビデオチャットで毎日話しました。でも、遠距離恋愛は苦しかったですから、私は卒業後、必ず日本で仕事を見つけて働こうと思っていました。目標があると勉強にも力が入ります。私は毎日頑張って、日本語の勉強に打ち込み、成績も上がっていきました。
三年生の夏休み、私は実家の無錫にある日本語の塾でアルバイトを始めました。初級レベルの日本語を教えたのですが、この時、私自身、授業を楽しんですることができ、私の教えた生徒たちも、私の授業が好きになってくれました。
日本へ、代購をやる
四年生の時、日本の大阪に卒業旅行に行きました。趙君と再会し、彼の学校にも行って一緒に授業を受けたりしました。とても楽しかったです。
当時、多くの中国人は日本に旅行し、信頼できる日本の薬品や化粧品を買って帰る“爆買い”が流行っていました。日本に行けないけれど、日本製品が欲しい人のために「代理購入(代購)」という職業が生まれていました。「代購」とは、中国の人の欲しいものを聞いて、日本に行ってそれらの物を代わりに買って来るのです。帰国後、手数料を加えて販売します。大阪に行く前、旅行経費を少しでも節約しようと、私も「代購」をやってみようと思いました。まず、商品の値段、写真、使い方と効用を書いて、WeChatでみんなに広告して注文を受けました。営業活動ですね。
卒業旅行の時、「代購」で1万元の利益がでました。憧れの日本に行く夢も叶えられたし、彼氏にも会えたし、お金も儲かりました。「代購」はわたしにとって最高な仕事です!日本でいろいろな店で商品を探すのは、体力的にちょっときつかったですが、それも楽しい経験です。
以来、二ヶ月に一回は日本に行きました。もちろん「代購」を続けながらです。これまでに京都、奈良と大阪に行ったことがあります。一回につき一週間ぐらい滞在しました。
転機
当時、普段の仕事は無錫の塾で日本語を教えることでした。趙君と結婚して日本で生活する前は、そのままの生活を続けるのもいいと思っていました。でも、突然父が心臓の病気になったのです。それで日本へ行って頑張ることを諦めるしかなかったです。娘としての責任があるので、できるだけ父のそばにいたほうがいいと思いました。迷いはありませんでした。趙君も私の考えを理解してくれて、私と一緒に中国で生活することに決めました。コロナで中日間の往来が不便になった今、この決断は正しかったと思います。
高校の日本語教師として
私たち2人は中国国内で安定な仕事を探しました。趙君は無錫で翻訳の仕事をし、私は日本語を高校で教えることになりました。ここ数年、中国の高校生の中で、英語の代わりに日本語で大学入試を受験する人が急増しています。日本語を選択すると、短期間で得点を上げやすいことが理由です。しかも、何と言っても日本語はもともと中国の漢字を使って文字を作っていますし、日本のアニメは中国の若い人にとても人気がありますから、多くの高校生は日本語を勉強したいと考えています。私は以前の塾で授業をしていた経験もあるので、比較的簡単に専門の教育機関に日本語教師として登録されました。その教育機関はわたしを今の高校に派遣し、高校での日本語教師の職を得ることができました。
私は日本語教師の仕事が本当に好きになりました。教えている中で、わからない日本語の難題にぶつかると、大学の先生と議論することもあります。自分の教え方のスタイルも確立できました。なにより、私のユーモアたっぷりの授業は学生に人気があるそうです。(自慢www)。達成感と使命感は私にとっていちばん大切なものす。立派な日本語の先生になるため、これからもずっと頑張っていくつもりです。
(2021年9月25日)
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