日本人総経理の中国語

社長の椅子essay

以下は筆者自身が総経理であった時期に自戒の意味を込めてメモしたものである。一般論ではないので誤解なきよう。

司馬遼太郎がかつて「中年を過ぎてからの外国語学習は、鶏が飛翔を試みる以上にむずかしい」という意味のことを書いておられる。まさに言い得て妙であり、体験的にも残念ながらこれは真実である。独特の抑揚を持つ中国語をネイティブのように使いこなそうとするよりは、鶏を訓練する方がまだ賢明であろう。

中国で社長に相当する職位を総経理と言う。拝金主義のお国柄であるから最も尊敬を受けるのは筆頭株主に当たる董事長ではあるが、総経理は会社における実務上のトップであり、会社運営に関しては一切の権限を持つ場合が多い。従業員の給料の決定権もひとり総経理の手にある。すくなくとも中国人従業員はそう思っている。

中心人物

彼らは自分の給料の額を決める権利を持つ者には絶対的に服従し、媚びへつらう賢明さを持っている。その徹底ぶりは日本の組織の比ではない。例えば中国語。給与決定者である総経理が、何か一言中国語らしき音声で発したとすれば、周囲の者はなにがなんでも理解しようとしてくれるのである。外国人である者が、多少なりとも現地の言葉つまり中国語を使うということは、本人にしてみれば、それなりの学習、または準備をしたものにちがいない。それに対して「何をおっしゃってるのかわかりません」などとはっきり言うほど中国人は馬鹿ではない。元来、人同士のコミュニケーションに言語の占める割合は20%とも30%とも言われるのだ。日頃接している者ならば、発せられた音がどう聞こえようと全く理解できないということはないのである。

かくして自分は通じる中国語が話せるのだと勘違いした総経理様は、裸の王様よろしく、悲しき中国語を携えたまま街へ繰り出すのである。日式クラブへ行けば、ここにもまた大げさではなく“命がけ”で日本人に媚びようとする小姐たちが「社長さん」という呼び名まで準備してくれて待ち構えているというわけだ。奇妙な中国語も通じないわけがない、文字通り“社長”なのであるから。

ビジネスパーソン3人この文は決して総経理や日本人幹部の中国語を揶揄するものではない。筆者もその一人であり、部分的に”通じる”中国語を日常的に使っている。そしてそれで充分であると感じている。

実はこの“裸の王様”現象は中国語にとどまるものではないということをいいたい。

例外はもちろんあるが、一般的な日本企業では本社から中国赴任となるといきなり2ランク程度職位が上がるのが通例である。本社の部長級が総経理となり、課長は部長、日本で管理職の経験のないものが課長になると言う具合である。人の上に立つことができる要件は仕事の能力ではなく自らを律することのできる能力によると日頃考えている。組織がいくら小さくともその長であるにはそれなりの段階的な修練を必要とするはずである。修練によっても身につかない者もいる。それが1ランクないし2ランク無条件に跳んでしまえば、ある者はその責任の重さに苦悩しノイローゼとなり、ある者はその権限の大きさにあぐらをかいてしまうものなのである。後者がまことに多い。

これに対する特効薬はない。だからこそ難しい。自らの発言、決定をこれで良かったのか、独りよがりではなかったかと日々反省し、謙虚な心を失わぬよう毎日を過ごしていくよりないのである。

(2014年3月 常熟にて)

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