通算すると常熟、南通にそれぞれ5年住んだことになる。揚子江を挟んで対峙するこれら二つの都市は、お互いの市の中心を直線で結ぶとわずか50キロ余りであり日本人の感覚では非常に近い。今では蘇通大橋があり車を飛ばせばそれぞれの市中心間は40分という便利さである。
古来、この二つの地域の交流はあまりなかったと聞く。むろん今のような橋はなく船で7-8キロはあると思われる揚子江を渡るのは、まことに不便であったことにもよるが、それにもまして人々が交流を好まなかったとおぼしき節がある。常熟は江南の中心に構える文字通り豊穣の地であったのに対し、いわゆる江南地方には属さず江北人と十把一絡げで呼ばれた内の南通人は、常熟人にとっては極端に言ってしまえば蔑視の対象であったらしい。
かつての常熟人や上海人にとっては、例えば娘が南通に嫁ぐとなるとそれだけで反対する人もあったと聞く。もちろんそのような気風も今ではもちろん消滅したようだ。逆に、今や発展の速度が著しく速くいずれ“小上海”と呼ばれる日が来るのではといわれる南通に対し、常熟は経済的な側面からだけ見れば遅れをとっているようだ。
ここに一つの普遍的な発展衰退の図式がある。片や物産に恵まれ人々の生活も豊かであり、プライドも高い人たちの住む常熟。片やわずか一本の川(といっても長江という大河だが)を隔てただけでありながら、蘇州、無錫を中心とする江南文化、経済の中心からは一段低く見られていた南通。なにくそと頑張っていけるのはどちらの方か明白なことである。古来、人と人との関係、国と国の関係もまた同じである。人類はその歴史において栄枯盛衰、浮き沈みの大きな波、小さな波を飽きもせず繰り返してきた。
ケンタッキーもスターバックスも、コンビニローソンも、先にできたのは常熟である。ただ南通である期間生活した後、常熟に初めてやってきたとき、中国では発展のしるしともいえるそれら外資系の飲食店を見て、どこかさびれた印象を持ったのは、私だけではないかもしれない。
中国で仕事をして10年になろうとしている。日本を離れ、母国を客観的に見つめる目を持ちつつ、中国という国の勢いを間近で感じ生活してきた。
最近なぜか、常熟への愛着が日に日に増していくのを、とめることができない。
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