私の参加した日本語教師養成420時間講座では、口座の最後に初級、中級、上級それぞれの模擬授業をやらされました。おそらく他の養成学校でも同じだと思います。
上級用として私が作成した教案をご紹介します。いろいろな膨らませ方が可能で、20分から80分程度の材料にできると思います。
導入
これから勉強する文章の最初の一文を紹介します。日本人なら横浜の山下公園が頭に浮かぶ、ということに言及してもいいかもしれません。
学習材料と出典紹介
授業で扱う文章全部を提示します。
- 港のそばに、水に沿って細長い形に広がっている公園がある。その公園の鉄製ベンチに腰をおろして、海を眺めている男があった。ベンチの横の地面に、矩形のトランクが置いてある。藍色に塗られているが金属製で、いかにも堅固にみえる。
- 夕暮れすこし前の時刻で、太陽は光を弱め、光は白く澱んでいた。
- その男は、一日の仕事に疲労した身体を、ベンチの上に載せている。電車に乗り、歩き、あるいはバスに乗り、その日一日よく動いた。靴の具合が悪くなり、足が痛い。最後に訪れた店がこの公園の近くで、その店で用事を済ませると、男は公園にやってきた。男は、化粧品のセールスを仕事にしている。
- 彼の前にある海は、広げた両手で抱え取れるくらいの大きさである。右手には、埠頭が大きく水に食い込んで、海の広がりを限っている。埠頭の上には、四階建ての倉庫があった。彼のトランクのような固い矩形の建物である。白いコンクリートの側面には、錆朱色に塗られたたくさんの鉄扉が、一定の間隔を置いて並んでいる。
- 左手には、長い桟橋がみえる。横腹を見せた貨物船が、二本の指でつまみ取れるほど小さく眼に入ってくる。貨物船は幾隻も並んで停泊しているので、白い靄の中に重なり合った帆柱やクレーンが、工場地帯の煙突のようである。
出典は吉行淳之介「砂の上の植物群」冒頭部分。吉行淳之介は、1924年(大正13年)4月13日 – 1994年(平成6年)7月26日)、1954年第31回芥川賞を受賞した小説家であることなど説明します。
語彙説明
語彙説明は上の赤マークの部分に限って行います。
日本の色
藍色、錆朱色という色の表現がされています。日本には日本古来の色の呼び方があることを代表例と共に紹介します。
埠頭と桟橋
細かい正確な定義にこだわらず、思い切って四捨五入、クリアに説明します。
霧と靄と霞
逆に正確な定義を知っておいた方が運用の際、便利な言葉もあります。
読解と着眼点
本文を理解してもらいます。時間、説明量は学習者のレベルによって判断します。
読解 文章全体の雰囲気を考察する
意味を理解した上で、この文章を読んでどんな気持ちになったか意見を求めます。「冷たい」「暗い」「寂しい」などの意見に対して、そう判断したキーワードを求めます。
金属、堅固、夕暮れ、光を弱め、澱む、疲労、足が痛い、…などが出ます。
「男があった」「身体をベンチの上に載せている」という表現に気がつく学習者もいます。身体をモノ扱いして不気味です。
着眼点の提示
この文章が読者に不安感を与えるために、もう一つの大切な文章上の技法がこらされていることを示します。青い部分、赤い部分に着目してもらいます。
- 港のそばに、水に沿って細長い形に広がっている公園がある。その公園の鉄製ベンチに腰をおろして、海を眺めている男があった。ベンチの横の地面に、矩形のトランクが置いてある。藍色に塗られているが金属製で、いかにも堅固にみえる。
- 夕暮れすこし前の時刻で、太陽は光を弱め、光は白く澱んでいた。
- その男は、一日の仕事に疲労した身体を、ベンチの上に載せている。電車に乗り、歩き、あるいはバスに乗り、その日一日よく動いた。靴の具合が悪くなり、足が痛い。最後に訪れた店がこの公園の近くで、その店で用事を済ませると、男は公園にやってきた。男は、化粧品のセールスを仕事にしている。
- 彼の前にある海は、広げた両手で抱え取れるくらいの大きさである。右手には、埠頭が大きく水に食い込んで、海の広がりを限っている。埠頭の上には、四階建ての倉庫があった。彼のトランクのような固い矩形の建物である。白いコンクリートの側面には、錆朱色に塗られたたくさんの鉄扉が、一定の間隔を置いて並んでいる。
- 左手には、長い桟橋がみえる。横腹を見せた貨物船が、二本の指でつまみ取れるほど小さく眼に入ってくる。貨物船は幾隻も並んで停泊しているので、白い靄の中に重なり合った帆柱やクレーンが、工場地帯の煙突のようである。
一つ一つの文の時制は、青い部分は現在形、赤い部分は過去形になっています。冒頭の部分は現在形と過去形がほぼ交互に現れ、やがて後半部分は徐々に現在形に統一されていくことを確認します。
まずこういう文章は英語では書けないことを示します。日本語で時制があいまいな理由を次の図で説明します。
日本語における視点移動
現在、この物語を語る人にとってはこれは過去の出来事です。しかし視点を物語の中の人に移せば、当然ながら現在進行形の話になります。
結論 小説家吉行淳之介の狙い
そして、徐々に現在形に統一していくことによって、読む人を小説の中に引き入れようとしているのです。
コメント