高校生の時だったと思います。大野晋博士の「日本語の起源」という本を読んで日本語の起源の問題にとても関心を持ちました。
日本語はどこから来たか、まだ明解な答えはありません
世界中の数千の言葉は、例えば英語はインド・ヨーロッパ語族、中国語はシナ・チベット語族といったように、いくつかのグループに分類されます。が、確か日本語、韓国語、バスク語(スペインの一地方の言葉)など少数の言葉は「孤立した言語」、つまりその形成過程がよくわからないそうです。
1980年頃発表された大野晋先生のクレオールタミル説というのは、日本語が遠く離れたインド南のタミル地方の言葉の親戚なのではないかという、驚きの説でした。しかし、現在、この説は完全に否定されたわけではないものの、少なくとも主流ではありません。
日本語の研究の中では「語源研究」や「日本語の起源」はわからない部分が多すぎるのであまり研究されていないというお話も聞きます。(下手に研究してボコボコに叩かれるのがイヤという話も…)
しかし、ここ20年ぐらいの「○○の起源」的話題の中では「日本人の起源」「日本へお米が伝わった経路」などについては、新しい研究ツールDNA解析などが発達したおかげで、相当クリアになって来たようです。確かに、ヒトや稲は現物の化石があります。これに対して「言葉」はモノとして残らないという難しさがあります。しかし、モノとして残るもののわかった部分を組み合わせて考えていけば、日本語の来た道も、次第に姿を現してくるような気がします。
日本人はどこから来たか?
日本人はどこから来たか、という問題は最近かなりわかってきました。
20万年前アフリカで私たちの直接の祖先にあたるヒトの最終進化形「ホモサピエンス」が生まれます。そしてその中の一部は、10万年前、何らかの理由でアフリカを出、新天地を目指しました。
彼らがユーラシアの東端、現在の日本に当たるところまで到達したのは2~3万年前。三つのルートを通してです。「北方(北海道)ルート」「対馬ルート」「南方(沖縄)ルート」です。このうち主なルートは北方、つまりいまのシベリア地方からであることがわかっています。
このことは、従来から日本語の構造がウラル・アルタイ語族の言語に類似しているということと整合しています。英語はSVO (I love you.)、中国語もSVO(我爱你。)なのに、日本語はなぜかSOV、「私はあなたを愛します。」なのですが、シベリア、北ヨーロッパに拡がるウラルアルタイ語族の言語は、まさにこのSOV言語なのです。
その他にも実は日本語とウラルアルタイ語族の言葉は共通点がたくさんあります。下にまとめました。(黒いところが似ているところです。)
だったら日本語は「孤立した言語」じゃなくて2-3万年まえシベリアからやってきたヒトが話す言語、つまり「ウラルアルタイ語族」に属する言語なのですね、という人もいるようですが、実はこれもどうも私には納得しがたい。
確かに、日本語の骨格に当たる部分は北方ルートでやってきたヒトの系統が残っているのかもしれませんが、そもそも骨格でしょ。人間の特徴って骨よりも肉の部分で決まるのではと思ってしまいます。
とりわけ日本語は、他の言語に比べると、あとからあちこちからくっついて身となり肉となった部分がとても多く、それらが複雑に絡み合って一つにまとまった言葉であるようです。
で、その後からっくっついて来た肉のメインの部分はと考えると、稲作の伝来とともにやってきたのでは?というのが仮説。そして稲作と言えば、先の3つのルート以外の第4のルート「長江ルート」からやって来たのではないかなあ、と妄想はふくらみます。
お米はどこから来たか?
日本語の「肉(Body)」の部分は米とともにやってきた?
先の大野晋博士のクレオールタミル説にしても、日本語とタミル語の間で「畑 hata」「米 kome」「糠 nuka」などの生活に必要な農業の基本語が似ているということが、タミル語起源根拠の一つになっていたと思います。昔の日本でも、農業、特に稲作というとてつもない技術革新を起こした人たちの言語は大きな影響力を持って日本語に取り入れられたと考えましょう。
そして、日本の稲作の開始は長く弥生時代つまりせいぜい2300年前ぐらいと考えられていました。私も小学校の時は、縄文時代と弥生時代を分けるのは米を作るか否かと習った記憶があります。しかしこれが間違いであったことがわかってきました。日本へ稲作が伝わったのは、実は6000年ぐらい前だそうです。
現代日本語につながる「原日本語」というものが、たとえば2300年頃から形成され始めたと言われると、ちょっと遅すぎないかなと思うのですが、6000年前ならなんとなく考えうることです。
お米のふるさとは雲南省?
そして、中国大陸でも近年いろいろな遺跡が発掘され研究された結果、お米のルーツもある程度わかって来たそうです。これも昔の常識を打ち破るものでした。
以前は雲南省と雲南省の南の東南アジアを中心として稲作が起こったと考えられていたと思います。例えば雲南省では納豆を食べる人が多いとか、少数民族の彝族の「彝」の字には「米」と「糸」という字が入っていて日本人と大切にするものが同じであるとかで、日本の農業文化のルーツが現在の中国の雲南省を中心とする地域だと主張する人が多くいました。
実は雲南省のお米の歴史はそう古くないのだそうです。先の地図に現在わかっている各地方の稲作の起こった時代を記入しました。
現在わかっている最古の稲作の痕跡は、現在の湖南省、省都の長沙の南の道県で発見された「玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡」で見つかった1万2千年前のものだそうです。
ユーラシア大陸お米ベルト?
今後も考古学上の発見が続くことを考えると、米の来た道は、まだ結論を出すのは尚早のようです。
今わかっている上記の年代だけで推定すると、まず湖南省玉蟾岩付近で稲作が始まる。そして長江の上流下流へ米作が伝わっていき、環境に恵まれた雲南を中心に一大米作文化圏が形成される。下流域では河姆渡、良渚など江南デルタの広域に水田耕作が盛んになり長江文明を形成。海流に乗り流れ着いた日本で、縄文時代の生産革命を起こした。その際、技術移転などに必要な複雑なコミュニケーションのための原日本語が確立したということになるのでしょうか。
私の趣味的探索
ということで、せっかく中国に住んでいるのだからと、上の地図の白いベルト部分にある地域の方言とか遺跡とかを、現地に行ってこの目と耳で確認して、小さな発見ができないかなと思ったりしています。
また日本でも古事記や地方の民間伝説などに意外な古代の真実が隠されていることが多いものです。きっと古い文字の歴史を持っている中国なら、日本語のルーツにつながるような伝説が残っていないとも限りません。
コロナ禍で動きにくい昨今は、中国の民間伝承などをのんびり読んでみたりしたりもしています。けっこう贅沢な趣味だと自分では思ってます。(ただしお金はかかりません。)
この分野に興味のある方、詳しい方おられたらぜひ教えてください。
(記事頭の画像は河姆渡文化の象徴である「二羽の鳥と太陽」の絵です。)
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