南通 Mercure Hotel にて

中国BATH

江蘇省南通市に住んでいるのですが、わけあってご当地南通でホテル住まいをしています。お察しの通り、この時期ですから理由はコロナです。上海へ人間ドック受診に行き、ついでに杭州に2日、計3日南通を離れたのですが、大学内の宿舎に入る前に医学観察期間が1週間必要となったわけです。

南通を3日間出ただけなのに、7日間の観察期間。しかもその間に3回のPCR検査を義務付けられておりなかなか大変です。どうせならとびきり高級なホテルに泊まってみようかとも思いましたが、薄給のわが身を思い返し、結局2004年海外事業部の中国担当として初めて南通を訪れた際の宿、三徳ホテル(今は三徳美居Mercure)を選びました。

チェックインしてみると、たまたま以前と同じぐらいの高さの同じ向きの部屋に当たり、窓からの景色はあの日初めて見た南通の街と寸分たがわず同じものでした。21階からの眺めは一見何も変わっていないように見え、17年前初めて中国を訪れ上海一泊後、長江を渡るおんぼろフェリーに乗って南通のこの地にたどり着いた時のことを、懐かしく思い出しました。

MERCURE HOTEL

南通市三徳美居酒店(Mercure Hotel)から見た南通市の風景

当時はもちろん気づくはずもなかったことですが、正面には南通大学启秀校区のキャンパスが見えます。まさかその大学が将来の職場になるとは、もちろん想像すらできなかったことです。

確かにホテルの上階から見た南通の街は変わっているようには見えません。しかし、地上に降り、目の前にあるもの、直接私が手に触れ目にする街の様子や南通人の生活は大きく変わりました。あの日夜、食べる物がなくて近くのスーパーで買ったあのまずかったパンは、もうどこにも売っていません。街にはおしゃれなカフェがあり、食べたいものがあればスマホで探ればたいていの料理は30分で目の前に届きます。日々の暮らしが、多くの部分で日本より便利になってきています。

我々日本人は、特に企業の人間は、ほんの10年ぐらい前まで、中国人や中国という国をどこかしら“上から目線”で見ていたように思います。ビジネスマンの間では、合言葉のように「中国ではなんでもあり。」と囁き合い、ビジネス上の力ずくの方法、あるいは拝金主義的な考え方を鬱陶しく非近代的だと、心の中で自分たちより下のものだと思っていたのではないでしょうか。町や日本料理店に溢れる「奇妙な日本語」の写真を撮って見せあって喜んでいたのも、なにやら侮蔑の匂いが感じられます。

初めての上海も、外灘のライトアップされた超高層ビル群には圧倒されました。が、ホテルを出て歩く道や、道行く人の様子は決して文明国のものと思えませんでした。中国の印象を一言でいえば、(もちろん今だから言えることですが…)成金趣味のデラックスな遠景と、みすぼらしい近景。人々はそのみすぼらしい近景の中で日本人よりある意味“低レベル”の生活をしている、という印象でした。

そして今、中国の近景、細部が変わっていくのがありありと見えます。過去の成功体験や、過去の規制に縛られ進歩のスピードが鈍化した日本を、今後、中国は軽々と追い抜いていくことでしょう。何のかの言っても人々の社会的モラルにしても、生活レベルの向上と共に上がっていくにちがいありません。今は礼儀正しくマナーを守る国民と言われる日本人も、例えば私の子どもの頃は西洋人からは眉を顰められるような民族ではなかったでしょうか。

三徳MercureHOTEL

以前のような仰々しさがなくなった落ち着いたインテリアのホテルの部屋と案内ロボット

私は日本語教師として日本語や日本そのものを、中国の若者に教える立場にあります。これからの時代、中国が日本から学ぶべきものは残っているのか。残っているとすればそれは何でしょうか?改めてよく考えてみなければなりません。

(南通市段家坝 Mercure Hotelにて)

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