先日、ふらりと通州へ行った。南通の市中心から北の方角へ進み、郊外へ抜けると南通市通州区ということになる。目指したのは慈雲禅寺という北宋(960-1127年)時代の寺である。日本にいた時の癖なのか、新しい街にでかけると、とりあえず古い寺を訪ねる。ただ現代の中国の寺は、どれもこれもピカピカに修復されきっていて、建物は皆よく似ている。わび、さびを求める日本人の感覚では、個性なく、面白みに欠けるような気がしないでもない。とはいえ、個性的な伽藍には迫力を感じるし、なによりも、周囲の地形を肌で感じてみるのは、魅力的な体験なのである。
以前、如東にある国清寺のことを書いた。遣唐使船に乗って南通に流れ着いた円仁(慈覚大師)が滞在した寺として有名な国清寺である。地図上で慈雲禅寺との位置関係を見ると割と近い(下図)。しかし、こうやって見ると国清寺も、海岸線からはずいぶん離れている。円仁は予定通り南通に着いたわけではなく、海流に流され、命からがらこの地に上陸したわけである。そして彼はおそらく、とりあえずは揚州を目指そうかと思ったはずであるから、国清寺が今のように内陸にあったはずがない。
今の国清寺は場所を変えて再建されたものであるのだが、実は元々あった国清寺の遺構が昨年発見された。今の場所のすぐそばなのである。この辺りの事情は前にも書いたが、南通市の、おおよそ上の地図で見えている部分(崇明島以外)が陸地になったのはここ千年足らずのことなのである。そして国清寺と慈雲善寺を結ぶ線あたりが、10世紀~11世紀の海岸線ということになるのだろう。
慈雲禅寺からバスで30分程度の場所に範公堤遺跡というのがあり、行ってみた。なんでも北宋の官僚範仲淹(989-1052年)なる人物が、1023年泰州(南通の西の街)に着任し、人民が水害に悩まされているのを見て、大規模な堤防工事を行い、約3年をかけて範公堤なる堤防を完成させたそうである。その遺跡である。
高さ10m以上はあろうかという、立派な範氏の像があった。ただ「遺址」ということではあったが、街中にぽつんとこの像が立っているだけで、本当にこの場所付近に堤があったのかは少しあやしい。とはいえ、国清寺、慈雲禅寺を含むこの辺りが10世紀、11世紀ごろの海岸であったということであろう。
ちなみに、ちょっと隣の市まで往復という距離感であったので2-3時間のことかとバスに乗ったが、二か所回るのに、結局たっぷり一日使ってしまった。南通市内の市バスもそうとうアバウトな走り方をしているが、通州のバスはそれに輪をかけて時刻表通りにはこないようだ。そういうおおらかさ(?)に慣れるのも南通生活では大切である。
(2019年8月)
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