第二の人生。中国での日本語教師

黒板と日本語先生essay
企業人として60歳まで働き、中国の大学で日本語教師として働きだして4年が過ぎました。私の日常を知る人たちからは、「毎日、楽しそうですね。」とよく言われます。
こういう時、「いえいえ、こう見えて、結構たいへんなんですよ。」と答えるのが定番。
プロとして金を稼ぐ仕事とは、どんな職業でもそれなりに苦労があるものだというのが通常だから。ところがどっこい、私の場合、実は毎日が、本当に、実に楽しい。
もちろん仕事の負荷が小さいのが第一の原因です。一週間に実動(つまり授業)が16コマ、時間にして10時間余りですから、フルタイムワークの数分の一しか働いていないことになります。(もちろん給料もそれなりですが…)
しかも、教えるのがなにせ長年使った日本語ですから。いざとなれば、何も準備しなくても授業に臨める気楽さがあります。
教室で授業する日本語先生
 
ただ、ストレスがなく、毎日楽しく仕事ができる最大の要因は、仕事の負荷が少ないためではない、と考えています。この仕事は、つまり日本語教師という仕事は、学生の日本語能力を向上させるのが仕事です。基本的にはそのことに専念すれば、よいだけなのです。
 
ずっと日本語教師をやられている、プロ意識にあふれた先生にしてみれば、
「それが大変なんだ!」
と叱られそうではあるのですが、私はボランティアから日本語教師をスタートしたものですから、いつまでたってもお気楽なまま、なのかもしれません。
 
「仕事が楽しい」とはどういうことか、ということをちょっと考えてみます。
 
仕事にはそれぞれ目的がありますね。社会的ミッションというものも当然必要。例えば、かつての私の仕事、「製造業における研究開発」なら、社会に役立つ良いものを作るのがミッション。そのミッション達成に向け邁進し、楽しく企業人生を遅れたかというと、そうはいえない。
 
仕事が面白くなくなる瞬間は、実はワーキングタイムのすべてをそのミッションのために使えないのだと気づいた時に訪れるように思います。それが会社、もしくは人間の社会というものであり、仕事のストレスのほとんどはそこから生じます。自分の好きなことを仕事に選んでいても、いつか仕事が苦役になるのはそのためなのでしょう。
 
仕事の本来の目的は、社会生活の中でしばしば失われて、経験を積むにつれ人は組織の中でスペシャリストからゼネラリストへの転換を迫られます。というと格好いいですが、複雑な組織をうまく回す調整役になれということかもしれません。複雑な人間関係の修復のための犠牲的行為ともいえます。結果、本来やりたいこと、やるべきことに時間と力を注ぐことができなくなり、現実の中で理想もミッションも見えなくなってしまった時、好きで始めた仕事も苦役になります。
人間社会というのは本質的にそういう性質のものなのかもしれません。
 
実は会社員時代、副業で語学教室を5年やりました。赤字になったわけではないですし、ビジネス的にはどちらかといえば成功と言えました。が、教室を経営していた時期は、やはり採算が気になりました。教育そのものよりも、いかに経営するかに頭を使うことが多かったということです。自分なりの教育の理想を追ってみたいから、という創業の理念というものは、そのように失われていきました。少なくとも削りとられたように感じ、悩みました。
 
 
 
常熟市小葵花語学教室
 
 
そして私なりの結論は、教育はビジネスと相容れない、つまり教育を商売にすべきではないということです。(もちろん私個人としての結論です)今いる生徒に集中できず、新しい生徒集めに汲々とするのは、やはりおかしい。教育効果のみをまっすぐに見つめれば、生徒は少ない方がよいのだから。だから、雇われの身でもよい。薄給でもよい。大学で教える道をとりあえず選びました。
 
以来、ずっと考えてはいます。
しかし、今のところ
教育は、それ自体がお金儲けの手段になってはいけない。そう仮定したところから導かれる行動原理でずっと、私は考え、動いています。大学なら、大学の学生の方だけを向き真剣に彼、彼女たちの日本語をいかに伸ばすかだけを考える生活をしています。経済性だの、効率性だのといった、かつて第一優先だった思惑を完全に捨てているところに、にわか教師である私の唯一の特長というべきものがあると考えています。
 
 結果、毎日は実に充実し、自分自身楽しめる生活を送ることができています。
 そういうことです。
シニア世代の新しい生き方 中国の大学で日本語教師
中国の大学で日本語を教える。これはシニア世代の日本人の生き方として、条件さえそろえばぜひお勧めしたいことです。私自身の体験を踏まえ、お話します。

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