人生100年時代のダウンヒル

essay

64歳である。若い頃は云々…、などという枕詞で話を始めるのも可能になったのが、何となく気恥ずかしいような、微妙な年齢である。

ともあれ若い頃、のことである。自転車に凝った時期がある。凝ったとはいっても、普通のサラリーマンであるから、一週間程度の長期連休の中で、家族サービス(以前こういう言葉が流行った。)以外に、自分だけのための休みと称して、ほんの二~三日、目的地を決めずに、自分の足だけで進むのである。

自宅は京都府の宇治である。琵琶湖を除けばどこへ行くにも山道が多い。そして山道を自転車で進むことが好きであった。山頂へ登っていく過程自体も好きであったが、その後のダウンヒルには何物にも替え難い爽快感があったことを、皮膚感覚として覚えている。

惜しむらくは、登りと下りが時間的に半々あれば良いのだが…、当然のことながら半日かけてようよう頂上に到達しても、いったん下りに入ればあっという間に振り出しに戻る。しかも、急こう配なら安全上スピードが出すぎないように、せっかく苦労して蓄えた位置エネルギーを、ブレーキによって損ないつつ、下るのである。ああもったいない、という感覚は自転車好きならわかるだろう。

springbok

陳腐な表現になるが、人生は旅に似ていると、今さらながら思う。旅は中間点を過ぎると何故かあっという間に終わってしまう。子供の頃の夏休み冬休みなどもそうであった。それはつまり、何事も前半が上り坂で、後半が下り坂だからであるなどと言う。だから充実した人生を送るために、”人生、最後まで上り坂を登るように生きたいものだ。”などとよく言う。

そう言う人が多い。

だから私もそう心がけて生きてきた。

しかし、である。人生100年時代だから、自分の今後の人生を”後半戦”などと呼ぶような非現実的な人間ではない。当然、これからは”終盤”と呼ぶべきであり、それを寂しいと思わないだけの修練は積んできたつもりである。そして最後まで坂道を登り続ける人生など、むろんそれは理想ではあるものの、願ってもやはりあり得ないだろう。

ならばこのダウンヒルに向かう道を、うまく選択したいと思う。

折角、ここまで登ってきたのである。来た同じ道の急坂を、スピードに気を付けながら、ブレーキで力を削ぎながら、突っ走ってしまうより、新しい緩やかな下り道を見つけ、ブレーキを開放してゆったりと、かつ快適に楽しんで降りていきたいと、この頃思うのである。

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