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日本を学ぶ(20)松阪の一夜。古事記の再生Ⅰ

本居宣長は1730年5月7日、松阪市本町に生まれた。江戸に住むことなく、その一生のほとんどを三重県松阪で過ごした異色の国学者。生涯で50冊の本を著わした。中でも有名なのが「古事記伝」。江戸から、さらに言えば、京都・大阪からも遠く離れた松阪の地が、なにゆえに本居宣長のような優れた国学者を生んだのだろうか。
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みんなの日本語(初級2)第30課 教案Tips

「~てあります」「~ておきます」は、どちらも未来のために準備されていることを表しますが、「~てあります」は「目的のために残す行為」、「~ておきます」は「目的のために準備する行為」を表します。例示の「とか」は第30課で初出になります。
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日本を学ぶ(19)遣唐使の時代Ⅲ

第10回遣唐使は藤原清河を大使として752年に出発した。この使節は、朝貢の場で新羅と席次争いをしたことで知られる。各国からの使者は宮殿内で東西に分かれ整列する。東がいわゆる東側諸国、西側に中央アジア諸国を中心とした国々が並ぶ。当初、東のトップが新羅、西のトップが吐蕃であった。
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日本を学ぶ(18)遣唐使の時代Ⅱ

遣唐使で、玄宗に重く用いられた日本人に、有名な阿倍仲麻呂(698-770年)がいた。彼は渡航時19歳。その後科挙に合格、玄宗に仕えて唐の高官となる。王維や李白とも親交があり、詩人としても名を残している。日本への帰国を望んだが、果たせず、そのまま唐で生涯を終えた。代表作に「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
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日本を学ぶ(17)遣唐使の時代Ⅰ

第一回遣唐使は、推古天皇の後を継いだ舒明天皇即位の翌年630年となった。初めての遣唐使は唐の二代皇帝である太宗(在位626-649年)の歓迎を受け、632年に太宗の使者を伴って帰国する。しかし、第一回遣唐使派遣後、しばらくの間、派遣は中断される。
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みんなの日本語(初級2)第29課 教案Tips

第29課では、自動詞/他動詞ペアのある動詞を主に扱いますが、教える側は「無対自動詞」「無対他動詞」「自他動詞」についてもよく認識した上で授業にのぞみましょう。「無意志動詞+てしまいました」は「後悔」の意味が入ることが多くなることに注意。
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「心配り」「心遣い」「気配り」「気遣い」の違い

〇 暖かい心配り、暖かい心遣い、✕ 暖かい気配り、暖かい気遣、  ✕ 失敗しないよう心配りする、失敗しないよう心遣いする、〇 失敗しないよう気配りする、失敗しないよう気遣いする、【原則】「心配り」「心遣い」はやさしさ、「気配り」「気遣い」は技能
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日本を学ぶ(16)人間空海(後編)

 806年、空海は日本に帰国する。31歳の若さではあったが、インド由来の密教の正式な後継者として日本に戻ってきたわけである。日本を離れてわずか2年しかたっていない。本来留学僧は20年間中国で学ぶルールであったものを、空海は学ぶべきものは学び終えた、とでも言わんばかりに2年で帰ってきた。そ
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日本を学ぶ(15)人間空海(前編)

神話、伝説上の人物は除外しよう。その人の生きた足跡が、ある程度正確に辿れるという前提で、日本史における天才を数人挙げてくださいといえば、かなりの確率で空海がその中に入るのではないか。さらに、世界史上、天才と言われた人物の中で、一般民衆から、もっとも親しみをもって敬愛されている人物、その答えもまた空海ではないだろうか。
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みんなの日本語(初級2)第28課 教案Tips

「付帯状況」の表現法の一つ「~ながら」、「~ています」の「習慣」用法、複数動作を並列に言う「~し、~し」などを学びます。第26課「~んです」、第27課「可能動詞」と、ヤマ場的課を越えて第28、29課は、いわば小ネタ的な課となります。後半部分、ここまでを復習しながら進めましょう。
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