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常熟語について

方言という言葉は日中共通だが、中国における方言は日本人の思うところの方言とはかなり異なる。常熟方言、南通方言というより常熟語、南通語といった方が近い。通常中国の方言は普通語(標準語)とは同じ言語とは思えない程度に違う。
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経済の時代(「戦後日本経済史」開講に向けて②)

「経済」とは「経世済民」つまり、「世を治め、民を救うこと」であり、その「経済」の手法を学ぶことは、明治維新後の日本つまり国家が近代化する過程でとても重要になるということを説明しました。今日は「経済」という言葉についてもう少し深掘りしてみましょう。
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渋沢栄一と福沢諭吉(「戦後日本経済史」開講に向けて①)

今学期は「戦後日本経済史」初開講です。基本的には1945年以降の日本経済の動きを学習します。しかし日本経済を理解する時、明治維新を境とする日本の変革期に活躍した渋沢栄一と福沢諭吉、特に「日本近代経済の父」と呼ばれる渋沢栄一について知っておくことは大切です。
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河姆渡でわたしは考えた。

ビジネスマンでありながら学者顔負けの博識であられる出口治明さんは、そこここの著書の中でこのようにおっしゃいます。自分を培い、支え続けているものは「本・人・旅」だと。同感です。私もこれからは、人様の迷惑にならぬように気をつけながらも、私なりの冒険の旅を続けたいと思っています。
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七千年のロマン、河姆渡遺跡へ。

憧れていたというとちょっと大げさかもしれません。ずっと行きたかった余姚の河姆渡遺跡を訪れました。南通から寧波へ長距離バスで移動し一泊。二日目満を持して出発です。河姆渡遺跡は寧波の宿から西北西へ約20キロ。地下鉄とバスを乗り継ぎ、例によって、かなり手前から徒歩で目的地を目指します。
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日本語の来た道(日本語の起源)

高校生の時だったと思います。大野晋博士の「日本語の起源」という本を読んでこの問題にとても関心を持ちました。以来ずっと興味をもっています。
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京杭大運河に臨む中国最長の石橋「蘇州宝帯橋」

蘇州の市街からは少し離れた場所、京杭大運河と蘇州城の小さな運河が交錯する場所に、あまり観光客の訪れない宝帯橋という石橋があります。司馬遼太郎さんがこの場所を訪れたのは1981年。さすがに帆船が浮かんでいるということはありませんが、予想以上に素晴らしい場所でした。
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人生にマネジメントを!

平成不況以来、日本ではどちらかというとスペシャリスト重視で、ゼネラリストたるマネージャーというのは不人気。これからの時代、「管理」ではなく「マネジメント」つまり「なんとかする力」を持っていることは、ビジネスの世界に限らず、何かと武器になると思うのですが、どうでしょう?
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シニア世代の新しい生き方 中国の大学で日本語教師

中国の大学で日本語を教える。これはシニア世代の日本人の生き方として、条件さえそろえばぜひお勧めしたいことです。私自身の体験を踏まえ、お話します。
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南通 Mercure Hotel にて

南通市に住んでいるのですが、わけあってご当地でホテル住まいをしています。お察しの通り、この時期ですから理由はコロナです。上海へ人間ドック受診に行き、ついでに杭州に2日、計3日南通を離れたのですが、大学内の宿舎に入る前に医学観察期間が1週間必要となったわけです。
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