旅の備忘録(8)東京葛飾「山本亭」

葛飾区山本亭

2025年夏、二度目の東京へ

住まい方の演出 一旦帰京、改めて8月20日に東京へ出る。主な目的は授業準備であることは前回と同じである。第4課に渡辺武信氏「住まい方の演出」(1988年中公新書)から「庭」についての部分がある。京都でいくつか庭を回っては見たが、ピンとこない。ネットで探っていると、葛飾区に「山本亭」なる個人住宅が保存され、公開されていることを知り、これならばと見に行くことにした。やはり7時前JR黄檗発、7時半ひかり638号で東京へ向かう。前回なれぬリュックを担いでいって苦労したので、いつもの手提げかばんで出発。旅は極力日常と同じ持ち物がよい。わずらわしい腰痛も、おおむね元に戻りつつある。といっても完治はしていない。

「庭の砂場」山口瞳

住まい方の演出「庭」の中で、渡辺氏は、自然を凝縮したような日本的な庭園を「眺める」ことによって、日本人はいかに癒されるものであるか、ということを強調されている。そして筆者は、山口瞳の「庭の砂場」という短編の秀作を引用する。「庭の砂場」は山口瞳の肉親たちの死を描いた、それ自体が”哀切きわまりない”作品であるが、読んでみると「庭の砂場」というタイトルのネタになった幼児の詩がでてくる。山口瞳は記憶の中のその幼児の詩を、わずか一行弱で書く。

 庭のお砂場で遊んでいたら、小さなシャベルが出てきた。それは死んだ妹の玩具のシャベルだった。
 これだけで見事な短編小説になっている。涙がでそうになる。前後含めて引用すると、
その詩は、小学二、三年生の男の子の詩である。幼児の詩だから、四行が五行の短いものである。だから、詩のストーリーだけは、よく覚えている。
 庭のお砂場で遊んでいたら、小さなシャベルが出てきた。それは死んだ妹の玩具のシャベルだった。
 それだけの詩だった。死んだ妹の、というところが、実名で〇子のというふうになっていた。玩具の、というところが、オモチャンになっていた。その子は、玩具をオモチャンだと思いこんでいたのか、そういう癖があったのだろう。〇子のオモチャン……。山口瞳「庭の砂場」から
 元の詩はネットをさぐってもでてこない。詩そのものが消滅している。当然、「〇子」が何子さんなのかは、永久にわからない。
 そういう悲しさが、この部分にある。

東京着

 10時過ぎ東京着、お茶の水オレンジ色の中央線から、黄色総武線の電車に乗り換え飯田橋へ。このあたりの慣れた感じは20年前の東京赴任の頃の記憶が戻りつつあるから。また東京に住みたい、とふと思った。人が多いということ、それだけ魅力的だということだ。日本人によって改善し尽くされた街、東京。日本人好みになっていて、なんといってもそこで生活しているのがほとんど日本人であるのがいい。外国人に占領されたような京都人は思ってしまう。水道橋経由飯田橋。前回はたまたま水道橋にホテルをとったが、、東京の定宿として水道橋いいかもしれない。どこへ行くのも便利そうだ。

飯田橋、小石川後楽園

 11時飯田橋での用が終わり、早々フリーになる。実は飯田橋と私のかかわりを、駅を降りて初めて思い出した。ずいぶん前、日中交流協会の中国語スピーディコンテストに参加したのがここ飯田橋日中友好会館であった。すでに二十年近くになる。忘れていて当たり前かもしれないが、現在の中国生活の起点、原点といってもよい場所ではある。東京「庭」巡りが今日のテーマなので、友好会館の隣小石川後楽園横切る。ここも久しく来ていない。大名庭園は素晴らしいが、今回の目的は個人宅の名園。とりあえず軽くスルー。水道橋西口からそのまま総武線で浅草橋まで、都営地下鉄で京成小岩まで。京成小岩駅前ビジネスホテルに荷物を預け柴又駅を目指し歩く。小岩の商店街をどんどん行く、途中から葛飾区鎌倉という地名になる。葛飾街道の方へ。このあたり中国人の表札多い。鄭 叶とかちゃんと二人分書いてある。

柴又帝釈天から山本亭庭園

 時間がたっぷりあるので柴又帝釈天に寄る。ここの庭園もよい。大名庭園から寺の小さめの庭へ。帝釈天から山本亭まで多少歩く。山本亭は本来の正面玄関からではなく、ぐるっと回って裏口だったのだろうか。受付になっている。受付をすませ、奥の座敷へゆっくりと歩を進める。目の前の開け放たれた硝子戸に区切られた四角形の中の庭園の姿がぐっと迫ってくる感じがすこぶる良い。広い座敷に座り、しばし見ほれる。ここへ来るまで何度か水分補給をしたが、それでも最後に山本亭でいただいた冷抹茶のうまさは忘れられない。広さは890㎡とある。小石川後楽園にくらべれば何十分の一だろう。そこに、おおげさではなく自然のすべてが凝縮されているひとつの“安心感”がある。安心感というのは、脅威の対象であるべき大自然が、わが手中にあり、すべてコントロール状態にあるという安心感である。
 2時間ばかり滞在したのだろうか。

座敷から見る山本亭庭園

山本亭を出て、寅さん記念館から矢切の渡し

 葛飾区観光コースになっているのだろう。山本亭を出て正面の階段を上がっていくと「寅さん記念館」、のんびり見て回る。続いて案内板をたどると江戸川河畔の矢切りの渡しに導かれる。これも以前駐在の時見つけていた場所だ。せっかくなので渡し舟に乗せてもらう。この炎天下、ほかに乗客はいない。渡し舟といっても対岸へは行かず適当なとろで引き返してもらう。今回はあまり長く歩くのは控えようと思ってきたがすでに歩数は2万歩を超えていた。電車を利用する。京成柴又から京成高砂乗り換え、京成小岩へ帰る。明るいうちにホテルにチェックインする。

東京スカイツリーと母

東京スカイツリー しばし休んで生き返る。夜出ないのもなんだと場所的にスカイツリーへ。スカイツリータウンで食事。なぜなんだろう。旅先でふだん食べないような美味しいものを食べるたび、母を思って泣きそうになる。私が27歳の時、55で亡くなった母にこれを、食べさせてやりたかった。そういつも思う。そんなとき、わたしが美味しいものをたべて幸せにすごしていれば、母はどこかできっと喜んでくれているはずだ、と自分を納得させようとする。

そう思うと、本当に泣いてしまう。

 展望デッキはけっこうな人。外国人が多く、東京よ、おまえもか、となるスカイツリーは2回目だが、しかし、これが最後かなあとも思う。22時過ぎホテルに帰る。

 

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