旅の備忘録(7)両国、鼠小僧治郎吉の墓など

帝国初期議会議事堂

館山を離れる

館山のホテル 渡良瀬遊水地からホテルに戻る。当初の旅の予定としてはまだ二泊残っているが、とりあえず、館山で田中正造を追う旅は一段落とする。明日は東京で一泊、憲政記念館で田中正造が演説をしたという初期議会の様子でも見ておこうと思った。
 帰京後考える時間はたっぷりあるとは思うが今の気分をメモする。
 田中正造も、取り合えずは四捨五入すれば立派な人でした、ということか。たよりない限りだが、これでいいのた。しかるべき人生のテーマ、こころざしがあって、そこそこのことをなした人ならば、その人の良い面だけをつかまえて、悪しき部分は四捨五入してしまって、偉人として祭り上げるのがいいのだ。  
 猛暑の中、この三日間よく歩いた。少し体を休めることも必要だ。
(ホテル前モスバーガーにて)

東京、両国へ

 14時51分りょうもうリバティで北千住へ。この時間、やや客多く、通路側。ビジネスマンが多い。16時両国ビューホテル到着。両国に泊まるのも久しぶりだが、現役時代、東京出張の時は、おそらく予算の関係で本社のある日本橋ではなく、両国に宿をとることがおおかったことを思い出す。

月かわり8月1日、両国散歩

 やはり東京へ来ると落ち着いて寝られる。7時過ぎ散歩に出る。曇り、ポツポツ雨が気持ちいい。今日の東京はここ数日の中では涼しく最高31度の予想。8月に入るとこんな日がときどきあり、やがて秋になるのだ。数分で横綱町公園、二度ほどきている。今日は西門から入ってみる。もちろん人はまばら。
 通勤中に横切る人、ベンチでタバコを吸う人、何もせずベンチに座る人。さまざまなひと、がいる。8時前になると公園を横切る制服姿の高校生たちが目立ってくる。公園を出ると、第一ホテル両国がホテルの隣り。建設中のスカイツリーの姿を見たのはここだったはず。高校生は多いがビジネスマンはあまり見られない。東京の朝にしては、歩く人の歩行速度が遅いのに気が付く。散歩向きだ。北斎の街か。両国橋、芥川龍之介もこのあたりに住んでいた。ゆっくり散歩し9時半ホテル。何度来ても、どこへいっても見るものに事欠かない。東京はこれがいい。

憲政記念館へ

 チェックアウト。憲政記念館へ。両国から、この旅の起点、水道橋を通過して、市ヶ谷。市ヶ谷から有楽町線で永田町へ。飯田橋から市ヶ谷まで、堀の向こうに理科大、法政大学、DNPと見える。これまた思い出多い場所たちだ。
 東京の見知らぬ街をぼんやり眺めるとき、頭の中にいつも、古いドラマ「二丁目三番地」のさよならをするために、が繰り返す。といっても若い人には何のことかわからない。有楽町線反対方向は池袋、赤塚方面。かつて東京で一人暮らしをした20数年前のいくつかのできごとが頭をよぎる。頭の中では誰も年をとっていない。しかし実際は、みな等しく歳を重ねる。当たり前だが、会わなくなった人は歳を取らない。面白いものだ。
 11時永田町着。憲政記念館へ。初期議会というのはどんな規模でやってたのか、建物や議事堂内部の模型があり、実はあまり期待していなかった分、ずいぶん得をした気分になる。田中正造の開設まであり足尾鉱毒事件の顛末にかかわるパネルも展示室の一角を占めていた。

初期議会の様子(模型)
 憲政記念館から国会図書館経由、議事堂前を通って帰路。議事堂には警備と日本国旗が立つ。聞くと今日は臨時国会開会で陛下が通るとのこと。13時半、雨が降り出す。霞ヶ関地下鉄駅に降りるが、地下は暑い。こやみを待って歩く。雨の中、桜田門から出てくる天皇さんの車を見ることができた。
再び大降り。桜田門前で再び雨宿り、14時雨あがる。
1412東京から帰路へ。

鼠小僧次郎吉の墓

鼠小僧次郎吉の墓 昨夜、両国のホテルからコインランドリーへ行くためを回向院を横切る形になった。回向院の裏口あたりに”三角錐”の妙な小塔があり、何かと思い見ると鼠小僧次郎吉の墓とある。治郎吉も確実に実在していた人物ではあっても、実際の次郎吉がどのような人物であったかは謎という。
 歌舞伎の題材になっている時点で、数々の脚色にまみれていることは想像に難くないが、強きをくじき弱きを助ける善玉盗人であったか、はたまた単なる悪人であったか、その実像はわからない。時代が下れば、おそらくそういうこともどうでもよい、ということになる。
 歴史人物など大なり小なり鼠小僧次郎吉のようなものではないかと、今度は幾分冴えた頭でそう思った。

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