「~ときたら」「~ともなると」「~ともあろう」「~たるものは」〔N1文法〕

「ときたら」「ともなると」「ともあろう」「たるものは」
話者の話題への判断・評価基準を示唆する
「~ときたら」「~ともなると」「~ともあろう」「~たるものは」などの表現を学びます。

日語総合教程第五冊「木の葉の魚」から

その漁師の家の貧乏さかげんといったら、財産は何一つなく、借り物の小舟が一艘に、借り物の網が、たった一枚あるだけでした。
P116
新しい着物を抱き締めて、この鍋がお前を幸せにすると言った母の言葉はこういうことだったのかと自分なりに解釈したのです。
P120

 共に第5課「木の葉の魚」からの引用です。最初の引用の「~といったら」は、

そのニュースを聞いた時の驚きといったら、しばらく声も出なかったよ。
 というように「Aといったら…」で話者の「A」の評価レベルが普通ではないことを表していますね。
 次の「自分なりに」は
君たちは、君たちなりにがんばればそれでいいじゃないか。
 のように「Aなり」で「A」を基準にして後件の考え方(話者の判断基準)を述べています

評価・判断基準

 これらのように、話者がその話題とする内容についての評価・判断基準を示す言い方として、N2レベルではその他に「~わりには」「~にしては」「~だけのことはある」などがあります。
 本記事では以下、N1レベルの「~ときたら」「~ともなると」「~ともあろう」「~たるものは」について解説します。

「~ときたら」(話者の悪い評価を表す)

「Aときたら」は、話者がAを良くないと評価している言い方です。話し言葉なので、身近な人物を取り上げて不満、非難の言葉が後件に続きます。
・最近の若いやつらときたら、敬語もろくに使えない。
・うちの父ときたら、なんでも母に任せっぱなしで本当に頼りない。
・あの店の料理ときたら、高いばかりで全然おいしくない。

「~ともなると・~ともなれば」

「Aともなると、ともなれば」は「Aぐらい立場・地位が高くなると~」という意味で、後件にはその段階になると、当然どのような状態になるかということが来る。客観的叙述になり、話者の意見は入らない。老後の心配
・子供も小さいときはかわいいが、中学生ともなると親の言うことを聞かなくなる。
・人間50歳ともなれば、老後のことを考えるようになる。
・普段は静かな街だが、祭りともなると多くの観光客でにぎわう。

「~ともあろう」(話者の悪い評価を表す)

「Aともあろう(人)が」で、Aのような高い地位の人が、常識的にすべきでないことをしたことへの不満・驚きを表します。もともと話者が高く評価している人に対し、その期待が裏切られたことを暗示しています。
・政治家ともあろう人物が、学歴を詐称するなんて許せない。
・あなたともあろう人が、こんなミスをするなんて信じられません。
・学部長ともあろう人は、最新の学会動向は把握しておくべきでしょう。

「~たるもの(は)」

「たるものは」、先の「Aともなると」が「Aになると」という動的な表現であるのに対し、「Aたるものは」は「すでにAである、すなわちAのような責任のある立場、優れた立場には」の意味で、後件はその身分・地位にふさわしい、あるべき姿を示す内容が来ます。優しい男の子
・社会人たるものは、あいさつと敬語は完ぺきにできなければならない。
・経営者たるもの、財務諸表を見ればすぐその会社の状況を理解できなければならない。
・男子たるもの、優しくなければ生きていく資格がない。

以上、新完全マスター文法 日本語能力試験N1(スリーエーネットワーク社刊)などを参考にしました。

 

 

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