「つくづく」と「しみじみ」の違い

「つくづく」「しみじみ」

「つくづく」と「しみじみ」の違いについて考えましょう。

問題

まずは問題です。「つくづく」「しみじみ」のどちらかを選んでください。

(1)彼女の歌声は( しみじみ つくづく )と心に染みわたった。
(2)私は気が小さいと( しみじみ  つくづく )思う。
(3)旅先で見る夕日に( しみじみ  つくづく )と感動した。
(4)しばしの間、( しみじみ つくづく )とした気持ちで感慨に耽っていた。
(5)あまりの美しさに( しみじみ つくづく )と見入ってしまった。
(6)彼の無能さには( しみじみ つくづく )嫌気がさした。

回答:(1)しみじみ(2)つくづく(3)しみじみ(4)しみじみ(5)つくづく(6)つくづく

「状態」か「行為」か?

  • しばしの間、しみじみとした気持ちで感慨に耽っていた。〔状態〕
  • あまりの美しさにつくづくと見入ってしまった。〔動作〕

「〇しみじみとする」は言えるが「×つくづくとする」は言えません。「〇つくづくと見入る」のように、「つくづく」の後には動作性の動詞がつながりますが、「△しみじみと見入る」は少しなじみません。つまり、

「しみじみ」は「状態」、「つくづく」は「動作」を示します。
「しみじみ」「つくづく」1

「しみじみ」は状態、「つくづく」は動作

「感情的」か「理性的」か?

  • 彼女の歌声は、しみじみと心に染みわたった。
  • 旅先で見る夕日に、しみじみと感動した。
  • 私は気が小さいと、つくづく 思う。
  • 彼の無能さには、つくづく嫌気がさした。

「しみじみ」の状態は「心に染みる」「感動する」ような情緒的心態です。これに対し「つくづく」につながる動作動詞は通常「考える」「眺める」など客観的観察=理性的観察を示すものがよく合います。「つくづく嫌気がさす」のように慣用的に使われる言葉も「考えても考えても、やっぱり嫌だ」という思考プロセスの結果のようです。

まとめ

 以上をまとめます。

「しみじみ」「つくづく」2

「しみじみ」は感情的「つくづく」は理性的

以上、新装版使い方の分かる類語例解辞典(小学館)などを参考にしました。

 

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