中国の日本語学科標準的テキスト「日語総合教程」第六冊
第9課は紀行文、阿部昭の「香住から白兎海岸へ」です。阿部昭は第六課エッセイ「いのち」でも採用されています。日本では知名度の低い方ですが、これほど採用されているのはなぜ?
勉強しながら、そのあたりも探ってみたいところです。
香住から白兎海岸へ
海を見て来いと言われて、わざわざ海を見に出かかるなんていうのは初めてだ。
子供の頃からざっと四十年、湘南の海辺で暮らしてきて、ことさらしげしげと海を眺めたことはない。私が元来景色というものに鈍感な人間だからかもしれないが、相手が海のような茫洋たる代物では、こちらがいくら力んでも仕方がない。そっとしておくほかはない。あれはお日様と同じようなもので、まともに鑑賞したりできるものじゃない、そこにちゃんと控えていてくれれば安心していられるという、そういう性質のものだと思っている。
山のふところで育った人は、山に対して、やはり私と似たような気持ちを抱いているにちがいない。私のほうでは、山の奥深くに入ると、妙に落ち着かなくて、すぐにでも逃げ帰りたくなるのであるが。
そんなわけで、海も山も、景色のほうはもっぱら新婚さんやお年寄りの団体さんにお任せして、当方が面白いのは、
景色よりもやっぱり人間、
どんな名所よりもやっぱり東京、
と、日頃から田舎の人たちの反感を買うようなことを公言してきた。
しかし、今度ばかりはそうも言っていられないらしい。なにがなんでも三日間は海を見て暮らすこと――それをやらないことには、帰るに帰れないという悲壮な旅のようである。
香住から白兎海岸
筆者は、香住(兵庫県)から白兎海岸(鳥取県)に至る山陰地方の日本海の海岸線を巡ります。だいたいの場所は、下の地図では黄色い部分です。
から白兎海岸(鳥取県)-800x394.jpg)
香住(兵庫県)から白兎海岸(鳥取県)
海を見て来いと言われて…
一文ずつチェックしましょう。
应激去看海。专为看海出门的是这是第一次。
・わざわざ海を見に出かけるのは初めてだ。
「~なんていうのは…/~などというのは…」では「~」で提示される事物が、話者にとって意外、異例と思えるような”わずかな驚き、呆れ”のニュアンスが加わります。
从孩童时期算起大约40年,在湘南的海边生活过来,所以用不着专门地去盯着海看。
可能因我原来就是对风景感觉迟钝的人,所以对方如果是海这样的庞然大物的话,自己一方无论如何用力也无济于事。
只有不去惊动他。
他和太阳公公是同类,本不是从正面可欣赏的东西,是在那里安静地呆着才让人放心这种性质的东西。我这样想着。
山のふところで育った人は…
在大山怀抱中长大的人对山也一定怀有和我相似的感觉吧,
而我进到大山深处时,会感到奇怪的焦躁不安,想要立刻逃回山外去。
私は必要なものを持っていきます。(私単独の内容)
私のほうでは鍋を持っていきます。(例えば、あなたは食材を持ってくる)
因为这种原因,海也好山也好,景色优美的地方就让给新婚夫妇和老年旅游团去吧。
而自己感到有趣的则是公开表白“景色还是比不上人,再好的名胜还是比不上东京”这些平常遭农村人反感的话。
但是只有这次似乎不可以这么说。无论如何这三天也得看着海度过–如果不这样的话,想回也回不去一-是如此的悲壮之旅。
何が何でも日本語能力試験に合格するぞ!
・帰るに帰れない:帰りたくても帰れない
続きます。




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