旅の備忘録 26年冬 鄭成功のふるさと平戸へⅡ

平戸川内町千里が浜公園の鄭成功

前回 → こちら

鄭成功生誕の町、川内(かわち)へ  

 平戸二日目、今回の旅の目的地である、鄭成功生誕の地へ向かう。ホテルまでタクシーを呼んでもらい、まず鄭成功記念館まで行ってもらい、周囲を散策する。
 タクシーの運転手さんは、私より少し上の年代、初めて平戸に来たと伝えると、訥々と、いろんなことを話してくれる。

 そういえば昨夜から平戸に来ているが、こちらの人は、実に愛想が良い。昨日、人気のない街の中心部を歩いていた時、突然「こんばんは」とあいさつされ、驚いた。こちらでは知らない人にも、挨拶するようだ。
 そう遠くない昔、ほとんどの日本の町・村では、知らない人でも挨拶を交わしたはずだ。今でも、ある人口密度の低めの街では、会う人会う人に会釈ぐらいはするという。20年ばかし前、会社に入ってきた三重の田舎町からやってきた新卒の後輩が、「京都は疲れる」とぼやいた。
 朝、京都駅の改札に入ってコンコースを歩く時、会釈するというわけではないが、すれ違うすべての人の顔を、確認しつつ歩いてしまうので、疲れてたまらないという。京都駅から一駅の会社に着くころにはぐったりしてしまうという。
 今、都会生活をする私たちは、会釈する・挨拶する、は、同じ会社の構内で会う人、同じマンションの建屋内で会う人、に限られる。他の国ではどうなんだろう。

川内町の話

 話を戻す。以下はタクシーの運転手さんの説明受け売り。
「記念館の手前に、丸山っていう小さな丸い島があるんだけど、以前はそこに鄭成功廟があったんだね。一昨年だったか、成功さん生誕四百年記念とかで、廟が少し離れた今の記念館の方に移されたんだね。今は、記念館といって中にいろいろ置いてあるけど、その記念館の建屋は、田川さんの旧家(鄭成功=幼名福松、は田川マツさんの息子)だと言われてたことろなんだわ。」
 「今は鄭成功廟と、記念館が並んでて、一応その前に生えてるナギ(梛)の古木ってのが、成功さんお手植えの木ってことになってますけどな。」

鄭成功廟(左)と鄭成功記念館(右)

鄭成功廟(左)と鄭成功記念館(右)

遊郭とかまぼこ

 なかなか優れたガイドさんである。話は少し深くなってゆく。
「で、その丸山というところ一帯は、当時は外人さん(オランダ人)のための遊郭だったらしいよ。地元の漁師さんたち、異人さんをもてなそうと、がんばるんだけれど、オランダ人にとっては魚がどうも臭くて食べられない。
 それで、ここの人達は、かまぼこを作って食べてもらおうとしたんだね。だから、今でも川内町のかまぼこは有名でね。いろんなところから買いにくるよ。港のそばに何軒かかまぼこ屋さんがあるから、ちょっと食べてみてごらんよ。」
 なるほど、そういうと視界にいくつかかまぼこの看板を出している店が見えてくる。
 そのあたりが目的地となりタクシーを降りる。

鄭成功廟、鄭成功記念館

 さっきの写真が廟と記念館、ナギ(梛)の木のあたりから写真を撮ったので肝心の鄭成功”お手植え”の木は写っていない。

 中国厦門コロンス島の鄭成功記念館では、学芸員らしき人が、細かく説明してくれたものの、中国語なのでいまいち理解できなかった。ということで、今回平戸の記念館の方は期待したが、展示品はどうも期待外れであった。とりあえず関連のありそうなものを小さな部屋の中に並べてあるという具合で、不謹慎ながら、国道沿いの怪しい秘宝館を思いだした。

鄭成功記念館展示

鄭成功記念館展示

団塊の世代

 ただ資料館の受付に坐る男性、おじいさんが面白かった。どうも鄭成功については詳しくないらしい。私より10ぐらい上、いわゆる団塊の世代であろう。国鉄(現JR)関係の仕事をしていたというところから、身の上話が始まり、資料館にたったひとり迷い込んだような私を、飛んで火にいる何とやらで、放そうとしてくれない。

 なんでも、お二人の娘さんを二人とも九州の大学に行かせたということが、人生のハイライトのようである。そのために頑張った。「国鉄の稼ぎだけでは、そんなことできんでしょう。けっこうヤバい仕事してたんだね。俺。」自慢話である。
「韓国人とか、不法入国させるんだよね。そうするとびっくりするぐらいお金もらえた。」と自慢する。今なら捕まる。

 昭和四五十年代の話である。私は昭和三十二年生まれ、高度成長時代の入り口で生まれた。戦争の影は幼い私の記憶に残っていない。母からも苦しかった時代のことを、具体的には話してくれたことはない。
 しかし、よく考えてみると戦争が終わってたった12年しかたっていないときに私は生まれたのだ。私の上の世代、つまり団塊の世代、戦争が終わってすぐ生まれた世代は、終戦直後のの後片付けの子供時代を送っているはずだ。
 かれらは、繰り返される社会的矛盾、生きるために悪事を働くことさえ善としてしまわねばならない日常の中に育っている。そんな価値観をもっていたろう。そして、自分たちの汚れた部分、どうにも説明できない矛盾の世界を、次の世代に引きずらないようにしなければ、という強い使命感のようなものもあったに違いない。
 結果、見かけ上、戦争の傷跡など何一つなく、明るい未来へ向かうこと以外に何ら心配をしないですむ、世界に私たちを置いてくれた。

 鄭成功とは関係なく、そんなことを考えた。
 おじいさんの話は、永遠に続きそうだったが、運よく香港からの団体客三十名程度が、どっと狭い部屋に入ってきたので、その場から失礼することにした。

かまぼこ 170円

 朝から何も食べていないことに気づき、せっかくなのでかまぼこを買って食べてみた。まあ、ふつうのかまぼこの味だろうと思って食べてみると、そのプリプリの食感はこれまで味わったことがない。なかなかの美味であった。

かまぼこ

児誕石

 丸山からしばらく歩くと、美しい海岸に出る。千里が浜という長く続く砂浜である。ここに鄭成功が生まれた場所がある。
 母田川マツがこの浜に貝を取りに来ていたとき、急に産気づきかたわらの大石にもたれかかり鄭成功を出産したという。

鄭成功 児誕石 

 実際にそうだったかは別にして、ともかくも、このような海と山に囲まれた日本の片田舎に鄭成功は生まれ、育ったのだと、あれこれと思いを巡らせることができる場所があるということは素晴らしいことだ。

つづきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました