京都から関空、「はるか」車中にて
江蘇省常熟市での生活について、ここからはしばらく、時系列的に書いてゆく。13年前の話である。メモを頼りに記憶を呼び戻しながら書き進める。
メモは日本で買った五年日誌に簡単に記している。前回、前の会社での中国赴任は、6か月で、帰任を命じられるという、私としては不名誉な結果となっていた。このあたりの事情が、その後の精神崩壊、退社につながっていることは、理由を書き残すことは永久にないということも、以前書いた。
ともあれ、東京本社での二日間の得意先回りを終え、2月4日、10時京都駅発の「はるか」で関空に向かった。「はるか」車中で、新しい五年日誌を前にひとしきり考えた末、五年間の計画として、2012~2017年の五行の枠を作り、右上から左下に向け、しっかり斜めに線を引いた。実際に描いたものが上の写真である。これは否定的な意味ではない。
技術者からの転身をはかる
大学院で高分子化学を修了して以来、化学畑で技術者、のちには管理者として働き、今回、やはりその分野で日系企業の中国法人の管理者として職を得た。ただ、これだけで終わりたくない。中国という新天地で、新しい仕事をしてみたい。2012年初頭、そのことを念頭に、中国駐在を始める。徐々に軸足を新しい仕事に移し、五年で工場管理の仕事は卒業したい。そういう意味である。
雇ってくれた、東京下町の中小企業に不義理をするということではない。中国で、ちょっとした新事業を、という計画はすでに了解を得ている。会社の新規事業としてやっていこうということである。(ただ、のちのちもめることになる。訴訟にまで発展する。)
初めての常熟
新規事業について、次回から書いていこうと思う。4日夜、上海から常熟入りしとりあえず街中心のホテルにチェックイン。翌、日曜日は一日フリーである。あいにく雨模様ではあったが、早速、地図も見ず街歩きを始めた。知らない街について、足に任せて歩きまわることほど、楽しいことはない。
虞山公園から動物園

ホテルから歩いて二十分程度歩くと、市民の憩いの場所とおぼしき、小さな池を中心とした虞山公園がある。表題の金魚の遊具はそこにあった仮設遊具で、今だに妙に記憶の底に残っている。公園から山の方、つまり虞山の方へしばらく上ると、小さな動物園があり、中にも入ってみた。看板に描かれたような動物がいたかというと、どうも、いなかったような気がする。

方塔街と方塔
虞山公園からは、山と反対方向になる小さなエリアが方塔街、で常熟の中心街。方塔街というのは、通りの中心部に常熟市一の寺院、興福寺の別院ともいえる寺院建築があり、そこにそびえる常熟のランドマーク的塔の名「方塔」にちなんでいる。
常熟は小さい街で、市内の繁華街といえば、ここ方塔街しかない。少々さびれた感はあるが、結局五年間、住むことになる常熟である。私にとっては中国における故郷のような街。今でもこよなく愛している。
丸一日の自由時間は、ここまでの数年間の苦しみへの褒美として、神様が与えてくれたものと思いたい。月曜日から、常熟での仕事生活が始まる。以後、先に言った新規事業の探索、立ち上げなども含め、実質休みのない生活を送ることになる。
休みなく働くといっても、過去、研究所で休みなく働いていた時とは違う。自ら選んで自分の意志で動く。その結果が無休となっていっただけである。おそろしく充実した五年間を過ごすことになる。
続きます。



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