中国5000日(28)5000日という時間

埋まりそうな砂時計
こちらに書いていることは事実とは異なる部分が多数あります。特に登場する人物に関しては特定の人物を指すことはありません。念のため

中国5000日突破か?

 このシリーズ、ずいぶん時間が空いてしまった。2025年、強烈な猛暑が終わり、11月になった。日本初の女性大統領が生まれ、初めての外遊を成功させ、帰国された。日本もようやく変わろうとしている。そういう予感がする。前首相の石破茂氏は私と同い年。誕生日も近い。政治家ならまだまだだろうが、一般的な職業なら、そろそろ”老害”扱いされる年齢に、私もなった。
 タイトルを中国5000年として書き始めた。実際、数えたわけではないが、この夏で中国での滞在時間が5000日を超えているはずだ。5000日あたりで日本へ戻るだろうという目論見があったのだが、今のところ本帰国の予定はない。スポーツ選手などで、ピークを過ぎるとスッパリ引退する人、限界まで現役を続ける人、二つタイプがいる。私は、いつまでも現役にしがみつくタイプのようだ。日本的な”潔い”ラストは迎えられそうにない。

5000日のアップダウン

 5000日というと、14年に少し足りない。私の中国滞在は14年を超えることになるかもしれない(ただ中国5000日は中国5000年にかけているつもりなので、タイトルは変えない)。14年というと、四十歳の時、かつての勤務先会社でいわゆる管理職となり、部門の幹部的立場になるまでの期間にほぼ相当する(格好良い言い方をすると、出世街道を駆け上っていた時期である)。合わせて三十年足らず、自虐的な表現をすると、上り坂の14年あまりと、日本を追われ中国に逃げ込んだ14年あまり(これを下り坂という勇気は今のところない)ということになる。

山頂にいる二人

時間間隔

 時の流れは加速する、という。10歳の子供にとっての1年は人生の十分の一だが、50歳にとっての1年は人生の2パーセントにすぎない、だから実感する時の流れは加速して当然だと言われると、自身の実感もあり、なるほどと納得している人が多い。
 実は、私の感覚はこれに反する。エリートサラリーマン時代の5000日と、中国滞在5000日を思ってみると、後者が圧倒的に長く感じるのである。ざっくり言って、40歳から55歳の15年より、55歳から70歳の15年の方が長く感じるというのは、ありうることなのだろうか。

主体的に取り組む心

 それ、つまり年齢がたかくても時間がながく感じる事、が一般的なことではなく、私固有のことだとすると、もしかしたらこういうことではないかと思う。
 つまり、会社で、あるいは家庭で、重要なポジション、立場にいて、周囲の期待も高かった時代。私は私自身の人生を生きていなかったのではないか。少なくとも会社人生では、私は自分を見失ってしまう程、過度の期待に翻弄されていたように思う。
 掌の上の人以前、この稿で、ガイド付きの旅行に行って名所をくまなく回っても、結局長く記憶に残る充実した思い出などというものは、ガイドについて回った場所ではなく、ふと自分で一人踏み込んだ地元の路地であったり、偶然接触した旅先でのちょっとした人間関係というものがほとんどだ、ということを書いたような気がする。
 同様に、人生を充実させる生き方というのは、坂を上る、下るという次元では評価できない。そういうものにかかわらず、何かの庇護のもとに動くのではなく、自分の判断によって進路を決めて歩き続けることが、本当の人生というものではないか。中国での5000日の間、思いかえせば、薄氷を踏むような危ない歩みであった。その一歩一歩を、自己責任で進んできたからこそ、時に足を踏み外し、大けがをすることもあったが、自分なりに納得し、起き上がることができた。
 そのような中国での一日一日は、その時その時はあっというまに過ぎ去る時間の中で過ぎていった。しかし、今こうして振り返ると、長い長い充実した時間あったと思える。

果てしなく広がる地平

 今、目の前には、上りでもなく下りでもない果てしなく広がり、地平線へと続く平坦な風景が広がっている。こういうのを、枯淡の境地とでも言うのだろうか。よくわからない。
 少なくとも、若いときには感じられなかったような、やや前向きの感情の中に自分はいる。

ニューホライズン

 続きます。

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