中国の日本語学科標準的テキスト「日語総合教程」第五冊
2025年9月秋学期開講。10月下旬になってやっと秋らしい気候になりました。第6課は生物学者本川達雄先生のベストセラー『ゾウの時間ネズミの時間』より、「なぜ車輪動物がいないのか」を読みます
なぜ車輪動物がいないのか 本川達雄
デューク大学はダーラムという町にある。タバコ畑の広がるのどかなノースカロライナ州の片田舎だ。森の中に点々と建物がたっているだけで、歩いて行ける距離には何もない。買い物をするにも、子供を学校に連れて行くにも、車がなければとても生きていけない世界だった。
日本では自動車への依存度はアメリカほどではないけれども、車輪のお世話になっている点では、似たようなものだろう。毎日駅まで自転車で出て、電車にゆられて勤め先に急ぐ。車輪がなければ、現代人の生活は回転していかない。
ところが、まわりを見回しても、車輪を転がして走っている動物にはまったくお目にかかれない。陸上を走っているものたちは、二本であれ、四本であれ、六本であれ、突き出た足を前後に振って進んでいく。空を見上げても、プロペラ機は飛んでいても、プロペラの付いた鳥や昆虫はいないし、海の中でもやはり、スクリューや外輪船のような、回転する駆動装置をもった魚はいない。
生物界には車輪がない。身の回りにある道具類は、よく調べてみると、その原理は生物がとうの昔に発明していたものばかりの中で、車輪は例外的に、人類独自の偉大な発明なんだ、と学生時代に習って、なるほどと感心した記憶がある(あれからもう二十年もたってしまった)。
ところが、その後、自然界にも車輪があることが分かってきた。あの、顕微鏡でもなかなかみるのがむずかしいほど小さいバクテリアが、毛のはえた車輪を回転させて泳いでいたのである。
二本であれ、四本であれ、六本であれ、突き出た足を…
~であれ~であれ

~といい~といい

~なり~なり

~だの~だの





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