前回( →こちら )の続きです。
これを聞いてアイの母親は大喜びしました。願ったりかなったりの話だと思ったのです。こうして、それからいくらも経たないうちにアイは、山からやって来た行商の婆さんに連れられて、まだ見たこともない人のところへ嫁入りすることになったのです。
いよいよアイが村を離れる前の晩に、母親は古い鍋を一つ出して来てこう言いました。「いいかい、アイ、これがお前のたった一つの嫁入り道具だよ。汚い鍋だけれど、これ一つがお前を幸せにするからね」アイは、ぽかんと母親を見詰めました。母親はそのアイの耳に口を寄せて、鍋の蓋をそっと開けました。
「これから母さんの言う事をようく覚えておくんだよ。これは不思議な鍋でね、この中に山の木の葉を二、三枚入れて蓋をして、ちょっと揺すって又蓋を開けると、木の葉はすばらしい焼き魚になるんだよ。そこに柚子でも絞って食べてごらん。そりゃもう、とびきりのご馳走だから」
アイは目を丸くして、そんな不思議な品物が、一体どうして自分の家にあったんだろうかと考えました。すると母親はアイを両手で抱き寄せてささやきました。「この鍋には母さんの祈りがこもっているんだよ。お前が幸せになるように、母さんは毎日、海の神様にお願いして、この鍋をもらったんだから。だけどね、この事をようく覚えておおき。あんまりやたらにこの鍋を使ってはいけないよ。なぜって、この鍋に入れられた木の葉が焼き魚に変わる時に、海ではちょうど同じ数の魚がお前のために死んでくれるんだからね。その事を考えて、この鍋は嫁入りをした最初の晩と、それから本当に大事な時にだけ、使うんだよ」アイは頷きました。母親は鍋をていねいに風呂敷に包んで、アイに手渡しました。
こうして鍋を一つ抱えただけの海の娘は、お姑さんの後について旅立ったのです。長い道程でした。二人はバスに三時間も揺られたあと、石ころだらけの山道を何時間も歩きました。おろしたての草履が磨り減って、鼻緒が切れるくらい歩き続けた時、やっと崖の下の小さな家に着きました。
それは緑の木もれ陽に包まれた草屋根の家でした。家の前には高い朴の木と小さな葱の畑がありました。「ここだここだ。ここが、わしらの家だ」とお姑さんが言いました。アイは目をぱちぱちさせて、「いい家ですねえ、立派な屋根ですねえ」と言いました。アイが今まで住んでいた海の家はトタン葺きで、屋根には石がたくさんのせてあったのです。それに比べると、この草屋根はなんとどっしりとぶ厚くて、温かい感じがするんだろうかとアイは思いました。
すると、その家の戸ががらっと開いて、これはまた、どっしりとしてあったかい感じのする若者が顔を出しました。若者はアイを見ると、それはいい感じに笑ったものですから、アイは一目でこの人が好きになりました。
鍋を一つ抱えただけの海の娘は、…
「抱く(だく)」「抱く(いだく)」「抱える(かかえる)」
おろしたての草履が磨り減って、…
「~たて」「~ばかり」「~たところ」

「たて」「ばかり」「ところ」の違い(まとめ)
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