読解「日常の思想」梅原猛Ⅲ

明治百年記念メダル

前回( →こちら )の続きです。

明治百年

 「明治百年」という言葉が出てきます。明治百年は1968年、この文章はそのころに書かれたものであることが分かります。(1970年4月1日神戸新聞に掲載されたものです)。筆者は過去百年間、日本を支えた価値観は「勤勉ー繁栄ー進歩」であった、そろそろ新しい価値観を求めていくべきだと主張されています。
 今年は2025年、この文章が書かれてから55年。くしくも昭和百年に当たります。ただ、日本人は、そして人類は、いまだ新しい価値観を見いだせていないように思います。

 勤勉の徳によって、われわれが期待するのは、繫栄である。繁栄が明治百年の日本の大事な目標であった。そしてその繁栄というのは、物質の豊かさを意味する。しかも近代人にとって物質は、単なる自然物ではない。多くの人間の意志によって作られた物質なのである。今日、われらの周囲にある物質は、ほとんど自然のものではない。われらが今日価値を置く物質、テレビ、電機製品、自動車、すべて、われらの意思がつくり出し、われわれに奉仕する物質なのである。ここでは、人為的なものが、自然なものより喜ばれる。

 このような勤勉、繁栄の価値とならんで、近代人にとって大きな価値は進歩である。だんだんこの世がよくなってゆく。物質は豊かになり、人間の智恵は増進してゆき、世の中はだんだん住みやすくなる。それが、近代人の信念というより、信仰でもあった。それゆえ、ここでは変化することが価値であり、スピードが価値であった。変化することが価値であるならば、否定が価値であり、どこへという問いもなく、ただスピードを出すことのみが価値とされるのである。

 私は過去百年間、日本人をささえた価値観は、そういう勤勉―繁栄―進歩という価値観であったと思う。このような価値観は、日本人全体の価値観であり、右と左とを問わないのである。むしろ進歩政党ほど、強くこのような価値観の上に立っている。しかしこのような価値観は、現在、大いに動揺している。むしろ、このような価値観の上に育った文明そのものが、このような価値観に対して懐疑を投げるのである。

  今日、完全に機械の時代である。多くの単純労働において、機械は人間より、はるか多くの能力を能力を発揮することは、すでに十九世紀において明らかになった。そしてやがて複雑な労働すら、機械は人間にかわってすることが出来るようになった。そして最後に、頭脳労働においてすら機械は、人間に優るようになった。勤勉は唯一絶対の価値であることを失うのである。

ただスピードを出すことのみが価値とされる

「のみ」と「だけ」

「だけ」と「のみ」は同じ意味で用いられますが、「のみ」は比較的「硬い文」でしか使えません。

  • お子様(〇だけ/〇のみ)、ご入場可能です。
  • 子ども(〇だけ/△のみ)、入れるんだ!

「のみ」「だけ」「に限り」「にすぎない」

「のみ」「に限り」「にすぎない」まとめ(例文付き全体まとめ)

「のみ」「に限り」「にすぎない」まとめ(例文付き全体まとめ)

能力を発揮することは、すでに十九世紀において明らかになった

「もはや」と「すでに」

多くの単純労働において、機械は人間より、はるか多くの能力を能力を発揮することは、すでに十九世紀において明らかになった。

「もはや」「すでに」使い方のまとめ

続きます → こちら

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