読解「海の中に母がいる」辻邦生Ⅰ

「海の中に母がいる」

 中国の日本語学科標準的テキスト「日語総合教程」第五冊
2025年9月秋学期開講。講義進行に合わせてメモとして重要導入事項を整理していきます。

  「海の中に母がいる」  辻邦生、『生きて愛するために』から
 山好きの血が父方から流れているとすると、海好きは間違いなく母から伝わっている。終戦間もなく、不忍池のほとりを通りかかると、池端に、母がしゃがみこんで池のをじっと見ている。声をかけると、母は照れたような顔で立ち上り「ちょっと海が見たくなって」と言って笑った。

 当時、東大のそばに住んでいたので、買物のついでに不忍池で休んでいたのだろうが、そのときの母の言葉が妙に忘れられない。小学六年の夏、母の故郷の鹿児島の辺鄙漁村でひと月暮らしたことがある。母の父は背の高い、こわい人で、そこでずっと医者をしていた。家から五十メートルほどで海に出る。桜島や開聞岳の見える美しい浜辺だった。母が海を見たいと言ったのは、その故郷の浜辺のことを考えていたのかもしれない。今なら二時間もかからない鹿児島は、その頃は夜行連絡船で二日かかる遠い国だった。望郷の思いに駆られても当然だったような気がする。

 海好きといっても、心ゆくまで海と親しんだのはその夏だけで、あとは学校から海水浴にゆく程度だった。おそらく海と切りはなされた状態がかえって海への憧れ搔き立てたのだろう。大学を出る年、何としても海に関係する職業につきたいと思い、日本郵船に入社できないか聞きに行った。対応に出た人事課長は「うちも、ほかの会社と同じですよ。文学部出身では、どうもね」と気の毒がってくれた。船会社だから、全員が船に乗れるものと勘違いしていたわけだ。

山好きの血が父方から流れているとすると

◆血が流れる:血統(けっとう)、由緒(ゆいしょ)ある血統
◆とすると
〔仮定条件〕:1日10元貯めるとすると、1か月で300元になる。
〔確定条件〕:1時間前に出たとすると、もう着いているはずだ。
◆「しゃがむ」「うずくまる(蹲る)」「屈む」
「しゃがむ」「蹲る」「屈む」図示

・その場でしゃがみ込む姿はヤンキー座りという。
・叱られて部屋の隅でうずくまる女の子。
かがんで子供の視線で会話しよう。

◆「かかる」「かける」
 いわゆる日本語の基礎単語で活用範囲は広く、中心的意味がとらえにくい。「電話をかける」「眼鏡をかける」「帽子をかける」などの簡単なもの以外にもけっこうさまざまな動作を表現できることを学びましょう。

当時、東大のそばに住んでいたので

不忍池付近地図

★「望郷の思いに駆られる」:馬を駆る → 馬を走らせる
◆「帰郷」「帰省」

海好きといっても、心ゆくまで海と親しんだの

◆「~といえば」「~といっても」「~だからといって」

「~といえば」なども含めて、よくにた表現が多いのでややこしい。適切な例文を示すのが一番ではないかと思います。
「といっても」「といえば」「といっても」などからといって

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