旅の備忘録(3)田中正造Ⅲ~わたらせ遊水地~

渡良瀬遊水地
渡良瀬遊水地

谷中湖へ

 旅にトラブルはつきもの。個人的なことなのでここには書かないが、今日はかなりひどい目に遭った。一日早めに切り上げ、帰路についた。危うく更新が途切れるところだったが、今日は岐阜駅のホームから更新。今日中に京都にたどり着けるか不明。
 昨日はこの夏最高の暑さの中、わたらせ遊水地へ足を延ばした。上の井写真で左側が谷中湖、右側が遊水地。遊水地は洪水のない通常の状態は、湿地・草原なのである。

谷中湖(貯水池)とわたらせ遊水地

 下がハート形の谷中湖。渡良瀬遊水地というのは、「水が遊ぶ地」であってこの湖ではない。

谷中湖

 図の左下、小さい枠の中の薄緑の部分が遊水地であり。もと谷中村があった。村人を移転させ、大水が出たとき水がたまるように川筋を変えるというのが政府の思惑。遊ぶ水の地である。その水は昨日行った足尾銅山から、鉱毒と共にくるわけだ。下の写真、左三分の一ぐらいのところの方角に足尾銅山が小さく見える。
 通常時の遊水地は、先にも言ったように、以下のような状態である。遊水地化するため、多くの住民は立ち退きに応じたが、田中正造と幾人かの村人は、最後まで抵抗したのである。

遊水地の役割

 以下の図がわかりやすい。洪水時、足尾からやってきた水がたまる様子が図示されている。

① 普段の状態、湿地や草原が広がっている。
② 洪水時には、越流堤から調節池内へ水が流れ込み、下流に流れる推量を減らす。
③ 洪水が収まるまで、調節池内で水を貯めこむ。
④ 洪水が収まると排水門を開けて調節池に貯まった水を川に流す。

共同墓地

 一昨日、NPOのTHさん、Mさんと3人で急ぎまわった、谷中村の共同墓地に再び立った。また新しい花が供えられていた。誰かが参りに来たのだろう。昨日の廃工場には圧倒されたが、広大な遊水地の墓前の花には、また違った思いがつのってくる。いいところへ来た。
 THさんがこの場所に連れてきてくれていなければ、何も見ず、何の感慨もなく館林を去ったに違いない。
 ただ、どうやらこの旅。初日に運を使い切ってしまったか、最後にとんだしっぺ返しを受けた。プラスマイナスゼロと言いたいが、そういうものでもない。プラスはプラスとしてありがたい。マイナスの出来ごとは忘れてしまうことだ。老いの学びである。
(23時過ぎ、米原を出る)

 

 

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