去年今年貫く棒の如きもの
鑑賞
風景を表したものでなく、美しさもありません。年の暮れ、新年を迎えるに当たって、自分にはさしたる変化もない、いわば一本の棒で貫かれたような平々凡々の歳月があるばかりであるという、世俗的なものから超越した境地をよんでいます。
風景や美がないかわりに、この句には、人間として生きる作者の力強さのようなものが感じられます。この句は昭和二十五年の年末、新春放送用に作られたもので、高浜虚子76歳晩年の作です。作者の年を知って改めてこの句に接すると、また新たな感慨がわいてきます。
音象徴からみる「去年今年…」
力強さ、そして安定感は母音Oの音の連続により作られています。「棒」を実音に似せて「BOO」とすれば、17音のうち「O音」11音、「U音」3音、「I音」2音、「A音」1音と、圧倒的に「O音」が多いことが特徴です。
あいうえお(aiueo)の音象徴
「あいうえお」の音象徴について復習しておきましょう。「あいうえお」の音は、口の中でそれらの音が作られる場所によって、おおまかに以下のような印象を持ちます。
音の出所 | 印象 | ![]() | |
あ | 低い所から | 安定感、開放感 | |
い | 前面から | 相手に向かう目立つ音 | |
う | 後ろから | 受動的、内面的 | |
え | 前面から | 相手に向かう目立つ音 | |
お | 後ろから | 大きいものを受ける |
「あいうえお」の音象徴について詳しくは以下記事を参照ください。
KOZOKOTOSHI TSURAMUKUBOONO GOTOKIMONO
「去年今年」四連続のO音でスタート。「し、SHI」で調子が変わります。そして、次の「貫く、TSURANUKKU」は、くぐもって押さえがちの「U音」にはさまれた「A音」が通常よりもさらに突出した感覚で耳に刺さります。
ピークを過ぎると、急激に「O音」の世界に逆戻り。「BOONO」となり落ち着きを取り戻し、そのまま「如きもの、GOTOKIMONO」と「去年今年、KOZOKOTOSHI」と前後を守るように終わります。
正岡子規、高浜虚子、そして夏目漱石
高浜虚子(1873-1959年)は正岡子規(1867-1902年)より六つ若い弟子。子規の打ち立てた俳句革新の直接の継承者と言われています。今回は虚子晩年の作品を取りあげましたが、たとえば
吾輩は猫である
高浜虚子は子規亡き後、子規の作った俳誌「ホトトギス」を引き継ぎます。俳句、文章の会である「山会(やまかい)」の主催も虚子によって続けられました。その山会で夏目漱石が発表したのが、「吾輩は猫である」の元になる文章でした。漱石にはその気はなかったといいますが、虚子はその文章を手直しして「ホトトギス」に掲載することを提案します。実際に手直しをおこなったのも虚子だったとか。
「ホトトギス」に掲載された「吾輩は猫である」は大好評を博します。本来一回で終わるはずの「猫」は連載物となり、名作「吾輩は猫である」が誕生したということです。
〔参考〕正岡子規の「写生」
正岡子規の俳句の考え方(「写生」)について、司馬遼太郎さんが「坂の上の雲」の中でうまく説明されていますので引用しておきます。
五月雨をあつめて早し最上川
という句を古今有数の傑作とおもっていたが、よくよく考えてみると「集めて」ということばがいわば巧みすぎて子規にはおもしろくない。巧みすぎることを臭味と感じるまでに子規の句境は熟しはじめているのだが、それはともかくとしても子規はおなじ五月雨を詠んだ蕪村の句をおもわざるをえない。
五月雨や大河を前に家二軒
というほうがはるかに絵画的実感がある(中略)
子規はこの前後から蕪村の精神をかかげることによって、片や芭蕉を宗祖としてすでに衰弱しきっている俳壇に新風をおこそうとした。 『坂の上の雲』より
コメント