総経理臭
「あの方はいわゆる総経理臭のない方ですから気軽に相談にのっていただけると思いますよ」
就職活動をしていた頃、上海の某就職斡旋会社の若い女性からこんな言葉を投げかけられた。「総経理臭」という初めて聞く言葉が印象的で今でもそのことをよく覚えている。私自身、中国ビジネスに多少は関わってきていたので,彼女の言う“総経理臭”というのは何となくわかった。言い得て妙,と言う感じもした。
中国進出ブームと派遣人材
バブル崩壊の90年代以降であろうか。円高に見舞われた日本企業の中国進出ブームが始まった。新たに法人を作るのであるから、当然人材が必要だ。「アメリカへの赴任なら喜んで行くが、中国はちょっとね…。」
ありていに言えば優秀な人材は中国行きを望まなかった。90年代00年代の日本のサラリーマンの一般的な捉え方はそうだった。現に、私のいた会社は00年代に入って他社に少し遅れて中国進出を決めたが、赴任者は原則“希望者”から選ばれた。逆に言えば“希望”すればよほど問題のある人間でなければ中国法人の中核メンバーとなることができた。それでも、現職を捨て中国の田舎町(当時は南通といっても上海から長江という海を隔てた僻地であった)で働こうなどというのは、いるにはいたが一種の変わり者であった)
90年00年代、中国赴任の猛者たち
結果的に、中国の日本人会などで、日系企業の日本人幹部、総経理連中が集まると、確かに何がしかの共通点をもった人間ばかりであった。うまく表現できないが。日本では上級課長、部長クラスの人間が2ランクぐらい上がって現地の部長、総経理となっている。皆、優等生タイプというより、多少組織のルールからは逸脱しがちな、まあそれでいて行動力はありそうな人間。一言で言えば荒くれ者タイプが選ばれていたような気がする。
そう言うタイプの人間が中国に赴任すると、その荒くれ者的性質に拍車がかかる。確かに中国には中国のビジネス風土というものがある。日本的礼儀正しさは時に無視し、力技や反俗技も必要である。いつしか、そういう中国ビジネスでの“専門家”となった彼らは、にわか老板となり、日本では中間管理職として窮屈な生活を送っていても、水を得た魚のように‘’元気一“中国的リーダーシップを発揮し出す。日本の人事部は、彼を中国に行かせて良かったとホッと胸を撫で下ろす。私生活も含め、中国に順応する過程で、身につけてしまうのが、冒頭の斡旋会社の女性がいう”総経理臭“。日本でしかるべき仕事の基礎を作り、出世した人間ならまだしも、日本では中間管理職として不自由なストレス生活を送ってきた者たち。舞い上がって、ふんぞり返り方も半端ではなくなる。かの上海のあっせん会社の女性は、そういう日本人をいやというほど見てきたのであろう。”総経理臭“とはよく言った。
総経理にしみついたこの臭いは、中国で仕事をする上で半ば以上必要な属性である。仕事だけでなく、私生活も充実させてくれる。しかし、たった一つ問題点がある。日本復帰後、うまく活用できない。そればかりでなくあまりよい結果を残さない場合が多い。この点、アメリカ帰りのサラリーマンが現地で身につけた思考法などが帰国後もなんとなく受け入れられる傾向にあるのと対照的だ。
教師にも
仕事はその人間の性格,人格に大きな影響をおよぼす。そういう意味でどんな仕事にもそれぞれの”臭い“というものがあるはずだ。しかし医者臭とは言わないし、警官臭とも言わない。しかし総経理臭というのはある。いや”臭“のつく職業といえば他にも”教師臭“というのがあるかもしれない。
“総経理臭”、“教師臭”、いかにも独特の臭いが漂ってきそうで胸の悪くなるような言葉だ。要は悪臭である。
臭いの元
中国での総経理、中国での教師、この二つに共通する性質がある。誰からも批判されない、叱責されることがないということだ。もちろん小さな批判や叱責を受けることはあるかもしれない。しかし、日本でサラリーマンを長くやった人間なら、悔しくて眠れないほど打ちのめされた経験があるに違いない。厳しい評価に悔し涙を流したことも一度や二度ではないだろう。酒を飲まずにはいられない夜も一度や二度ではなかったはずだ。こんな私でも、手洗いに駆け込み涙を流したことだってある。よほどの能力の高い人間でなければ、人間社会の中で競争にさらされ、日々の競争のなかでたまに有頂天になる時があっても、ほとんどはいじめ抜かれ、悔しさをバネに次の勝負に挑んでいくというのが、普通の社会人ではないか。
そういう、泣きたくなるような経験が、総経理、中国の教師にはない。私自身、中国で総経理的な組織の長の仕事を5年、その後日本社会に復帰することなく、教師を7年以上続けている。幸い、年齢的に日本へ帰ってから仕事をする必要はないと考えている。帰国しても、まあ多少わがまま勝手な老人として暮らしていくだろうが、それも想定内である。
総経理はまだ帰国後,再教育も受けられる。そして、中国の成長と共に、中国駐在員の性格も変わり、近年は、かつてのアメリカ駐在に似て、中国赴任は将来の本社幹部候補生の訓練の場とみなす企業が多い。これも時代の流れであろう。
60歳未満は中国で日本語教師はやるな
現時点での私の意見である。中国で日本語教師などやろうものなら人間的にバランスを維持するのが難しい。三十代四十代で日本社会からにげるように中国にやってきて日本語教師となり、そのまま10年以上教師生活を続ける人間を何人も知っている。日本語教師は日本社会からの避難所としては実にいいと思う。彼らはお互いを“先生”と呼び合う。全部とは言わないが日本で何か嫌なことでもあったのだろう。互いの傷に触れ合うことを避け、お互いを批判し合うことは、たとえ陰でも言わない。しかし、三十代四十代であれば、五十になる前に、なんとか社会復帰を果たしてほしいと思う。しかし、“避難所”生活を延々と続けてしまう人間が多いのも事実だ。
正直なところを言えば、そういう日本人を見ると、一つ、鏡を見るようで、二つ、日本の国力低下の根本原因を見ているようでいい気はしない。
(続く)

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