みんなの日本語(初級1)第27課の重要ポイントについて解説します。
可能動詞の導入
可能動詞の作り方
可能動詞 ①能力 ②可能性
- 私は 日本語が 話せます。①
- このマンションでは ペットが 飼えます。②
可能動詞はおおきく二つの意味を表します。①では「能力」を表し、②では「可能性」を表しています。
~は~が+〔可能動詞〕
- 私は 日本語を 話します。③
- 私は 日本語が 話せます。④
③は「を」で動作の対象を表しますが、可能動詞で表されるのは「状態」であり、通常「が」格となります。第18課の「私は日本語ができます」と同じです。
- ~は ~ が +〔能力〕
- 私は 日本語が できます。〔第18課〕
- 私は 日本語が 話せます。〔第27課〕
〔参考〕第5課から第18課の文型導入
できます ①能力 ②完成
- 私は 日本語が できます。(能力)〔第18課〕
- 駅前に 大きな スーパーが できました。(完成)〔第27課〕
- スマホの修理は いつ できますか。(完成)〔第27課〕
「能力」を表す「できます」は第18課で学習しました。ここ27課では、もう一つの「完成」を表す表現を学びます。
「見えます」「聞こえます」
- 窓から 富士山が 見えます。
- 公園から 音楽が 聞こえます。
「自発」表現。つまり「自然とそうなる」(自然に視野に入ってくる、自然に聞こえてくる)という自動詞です。可能動詞の「見られます」「聞けます」とは異なります。
以下、少し脱線して「日本語」は「人」の存在をできるだけ消そうとする言葉である、という話題です。
〔参考〕人の存在を消そうとする日本語
下の二つの文を比べましょう。
- 窓から富士山が見える。
- I see Mt.Fuji.
それぞれを図示すると以下のようになるのではないでしょうか。
「富士山が見えます」というと「富士山」の存在が視野の中に入ってくる話者の見ている「視野」そのものになるのに対し、英語のI see Mt.Fuji.では、「I」という観察者がいることによってはじめて「富士山の存在」が認識できるのですから、「I」の姿を画面から消すことは難しいのです。
「見えます」「聞こえます」からはさらに脱線しますが、次の例も、日本語の人を消す作用に関することです。
「雪国」(川端康成)の冒頭
二つ目の例です。
以下は日本のノーベル文学賞作家、川端康成の有名な「雪国」の冒頭です。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ呼ぶように、
「駅長さあん、駅長さあん」
明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻で鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。「雪国」川端康成
アメリカ人サイデンステッカー(Edward George Seidensticker)の訳文が以下になります。
The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a signal stop.
A girl who had been sitting on the other side of the car came over and opened the window in front of Shimamura. The snowy cold poured in. Leaning far out the window, the girl called to the station master as though he were a great distance away.
それぞれの最初の一文に着目しましょう。
- 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
- The train came out of the long tunnel into the snow country.
たとえば上の二つの文を絵に描いてみたらどんな絵ができあがるでしょうか?
日本語の文には主語は示されていませんが、私が主体であり汽車に乗ってるということがわかります。そして座っている席から見える前景が時間の経過とともに変化していくさまが感じ取れるのではないでしょうか?
これに対して、英語の訳文の方は主体である”The train”が主語になり、全体を俯瞰した形での情景が描かれているということになります。
物語の語り手である「私」はどこにいるかというと「列車の中」ということになります。
つまり、
- 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。⇒ 私の存在は消えている(観察者そのものになっている)
- The train came out of the long tunnel into the snow country. ⇒ 私は映像の中にいる。(この絵を観察しているのは別の視点、神様?)
以上、少し脱線しました。
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第27課では、とりたて助詞「しか」が初出となります。「だけ(第11課既出)」「しか」の違いなどに展開するのもいいと思います。
取り立て助詞「だけ」と「しか」
「だけ」「しか」は共に「限定」を表すとりたて助詞です。「Xだけ~」「Xしか~ない」の形で「X以外は~ではない」ということを述べます。
- 大学では日本語だけを勉強します。
- 大学では日本語しか勉強しません。
上のように語法上では「しか」は後ろが必ず「否定(ない)」になるという特徴があります。では、意味の面では「だけ」と「しか」でどのような違いがあるでしょうか?結論を言えば、

「だけ」と「しか~ない」の違い
つまり、「日本語だけ勉強します」というと、積極的に日本語に絞って勉強するというニュアンスがあるのに対し、「日本語しか勉強しない」だと、本当は他のこともやりたいのだけれど、残念ながら日本語のみという”やや否定的な気持ち”を込めて述べるという風になります。
「みんなの日本語」における「だけ」「しか」
日本の代表的日本語テキスト「みんなの日本語」における「だけ」「しか」の導入文を見ると、
「だけ」(第11課)
「しか~ない」(第27課)
「だけしか~ない」
では「だけ」と「しか」がくっついたような「だけしか~ない」という表現はどうなのかという疑問が沸きますが、これについては「しか~ない」の強調形と理解すればいいでしょう。
- 教室には一人だけしかいなかった。(他の人はどうしたんだ?)

一人だけしかいない
以下、間違えないようにしましょう。
- 私だけ知らない。(私は知らない)
- 私しか知らない。(私は知っている。)
- 私だけしか知らない。(私は知っている。)
よくある誤用例
以上のような原則はたいていの学習者の皆さんは了解しているのですが、その上で以下のような誤用をよく耳にします。
(以上、初級を教える人のための日本語文法ハンドブック スリーエーネットワーク刊などを参考にさせていただきました。)


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