にゃんこ先生、結界を破る!
夏目友人帳は海外でも人気の高い漫画である。この物語の冒頭では主人公が、強い妖力をもつ妖(あやかし)が閉じ込められていた結界を、誤って破ってしまうところから始まる。結界として社(やしろ)を守っていたのは一本の縄であった。現代社会でも、正月に玄関に取り付けるしめ縄は一つの結界と言えなくもない。しめ縄は、年の初めに当たって今年一年、家の中に邪悪なものが入ってこないように願いを込めて飾るもの。今ではやらなくなったが、昭和の時代には、新年に自家用車の前部にしめ縄を飾る習慣もあった。
このしめ縄、日本最大級のしめ縄が、島根県松江市の出雲大社本殿前にあるしめ縄だ。神楽殿前のしめ縄は長さ13.6m・重さ5.2tに及ぶ。出雲大社のシンボルとなっているが、このしめ縄は大きさ以外に、日本の他の神社とすべてのしめ縄とちがい、より始め部分が左、つまり逆に設置されているのである。それがなぜか正確なところはわからない。しかし前述のように家の玄関に飾るしめ縄が、外から悪いものが入らないようにするためのとのならば、それが逆に取り付けられているということは、内側の悪が外に出ないようにしているとも取れる。
もう一つ、出雲大社の礼拝のしかたにも触れておこう。出雲大社以外のすべての神社では参詣の際、「二礼拍手一礼」(二回礼をし、二回柏手を打ち、最後にもう一度礼をする)が普通だが、出雲大社に限っては「二礼四拍手一礼」が産廃の作法なのである。
そのような出雲大社の特殊性を確認した上で、今回は日本古代の“裏歴史”について調べてみよう。
敗者の歴史
タケミカヅチはオオクニヌシから地上の統一国家(葦原の中つ国)を譲り受けた。新たな指導者を得た葦原中国は、天孫降臨、神武東征を経てヤマト王国の成立に到るのである。その古事記の物語は次回に譲り、少し寄り道をしてみたい。
国譲りの際、最後までタケミカヅチに対抗したのがオオクニヌシの子であるタケミナカタであるという話をした。古事記には、タケミナカタはタケミカヅチに追われ生まれ故郷の越(現在の石川県)まで逃走したとある。さらに、山間部へ逃げいくつもの峠を越え最後にたどりついたのが、諏訪湖湖畔である。諏訪湖畔でタケミカヅチと対峙したタケミナカタは命乞いをする。「今後、私はこの地を離れることはありません。ですからお見逃しください」とでも言ったのであろうか。タケミナカタは、言ってみれば、島流しになった罪人のような形で諏訪地方生き伸びるのだ。
神無月と神在月
話は少し本筋を離れるが、日本の古い言い方では10月のことを神無月(かんなづき)という。文字通り神が無い月というには理由がある。10月には全国の八百万の神々は出雲大社に集結して、縁結びに関わる会議をすることになっている。日本中の神様が出雲に集結し地元に不在となるため10月を神無月という。逆に出雲では神在月という。実は神在月と呼ぶ地方はもう一つあり、それが諏訪地方である。先にタケミカヅチに追い詰められ、以後、諏訪地方を出ませんと言った以上、諏訪の神となったタケミナカタは、諏訪の地を離れることはできない。ではどうするか。10月、諏訪の神は諏訪から出雲まで届く長い竜に姿を変え、尾の先端を諏訪の大木に巻きつけたまま、頭は出雲で神様の会議に参加するという。
タケミナカタ、諏訪明神になる
さて、諏訪地方に新参者としてやってきたタケミナカタのその後である。もちろんすでに諏訪地方に住んでいた人々と摩擦が生じる。首長をモリヤという。(このあたりには諸説あり定説がない)多少の摩擦はあったものの、結果的にタケミナカタはモリヤを従える。タケミナカタが諏訪を支配し、モリヤは司祭を司る立場となる。モリヤの系譜をさらに過去にたどってみるとミシャグジという最古層にいる神様の存在があるという。ミシャグジは神様と
いうより“精霊”としてあがめられていたもので、遠く縄文文化の原始的な信仰につながっている。ただし、諏訪地方はすでに述べたように、縄文以来、豊かな文化が栄えた地域である。縄文時代の日本文化の中心として、西日本から広がる弥生文化に最後まで対抗し、縄文文化を守り抜いた地方とも言われる。縄文のビーナス、や仮面の女神の時代から綿々と受け継がれた古代信仰がその名残をとどめていたに違いない。
諏訪大社の行事として奇祭と呼ばれるものが多い。
諏訪大社は全部で四社あるが、それぞれ四方に御柱という柱を立てる。7年に一回この柱を取り換えるために、山中から御柱として樅(モミ)の大木を16本(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本)切り出し、4箇所の各宮まで曳行し社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭である。中でも坂道の上から御柱を滑り降ろす時が圧巻である。御柱前後にV字型に突き出した「めどでこ」と呼ばれる木につかまる者、御柱そのものにしがみつく者もいる。彼らは振り落とされまいと懸命に御柱にしがみつく。1か月あまりの時間をかけて行われる、御柱祭では、負傷者だけでなく、毎回のように死者まで出る荒々しい行事である。
また毎年4月に行われる御頭祭では、75頭の鹿の頭を始めとする動物を、諏訪の神にささげる儀式が行われる。もちろん近年は剥製が用いられるが、古代は本物の鹿を殺して行ったという。こういった儀式は、どうみても狩猟民族のものであろう。そのルーツをたどれば、中国を飛び越え、遠くユーラシア西部に起源を持つのでは、と考える人もいる。
現在の諏訪大社は諏訪湖を中心に上宮、下宮、春宮、秋宮の四社ある。すべてタケミナカタを祀っている。タケミナカタの時代以降は農耕生活が主体であったろう。しかし、それまでの諏訪にまつわる習俗は、どうみても狩猟民族のそれである。
縄文以来の独特の土着文化、土着信仰に、モリヤの文化、新たにタケマナカタ信仰を加えたものが現在につながる諏訪信仰の土台となっているようだ。その基層にはアニミズムの精霊ミシャグジの姿が見え隠れする。時を超え、そして地域を超え、いくつかの文化が重層的に積み重なり、多様性の中に、一つの統一的な調和を醸し出している。日本文化は、そのような複合文化形態を見せる場合が多い。
タケミナカタは諏訪大社の御柱に守られているのか、それとも閉じ込められているのか。出雲大社のオオクニヌシは逆に張られたしめ縄によって社の中から出られなくなったのであろうか。文字のない時代の日本の、永遠に解くことのできない謎である。
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