漫画の神様の登場
現代につながる日本漫画・アニメのパイオニアとなったのは、手塚治虫(1928-1989年)だ。「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」など、数々のヒット作品を世に送り出した手塚治虫は戦後の漫画界をリードし続け、漫画の神様と呼ばれた。
手塚治虫は昭和3年(1928年)大阪に生まれた。幼少期の彼はディズニー映画などのアメリカのアニメーションに触れて育つ。自分でも絵を描くことが大好きな少年であった。しかし、戦争が手塚から漫画を取りあげる。大阪の工場へかり出され働く日々、そこで目の当たりにした大空襲。市内をさまよいながら見た凄惨な光景に手塚は強烈な印象を受けたという。思春期の強烈な戦争体験が、彼に「生きるとは何か」ということを生涯にわたって考えさせるきっかけになった。
大阪大学で医学を修め、医者の資格を持つ彼は、やがて「ブラックジャック」「火の鳥」など、生命をテーマにした、むしろ大人向けの漫画にも力を入れる。60歳の短い生涯で描いた原稿はおよそ15万枚、亡くなる直前まで漫画を描き続けた手塚治虫、その漫画は今も世界中で読まれ愛されている。
手塚治虫が亡くなった次の日の朝日新聞社説のタイトルは「鉄腕アトムのメッセージ」。その中で「日本人は、なぜこんなにも漫画が好きなのか。私たちの国には手塚治虫がいたからだ。なぜ、外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。答えは彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ」と論じている。
ピクトグラムは日本初
例えば下のような絵をみたら、世界のほとんどの人が「シャワー」「トイレ」「レストラン」を指しているとわかります。こういう図案を「ピクトグラム」と言います。
この万国共通の「言語」としてのピクトグラムをはじめて公式に使ったのも日本。1964年の東京オリンピックの時に海外からの訪問客のためにデザインされたピクトグラムは、その後世界各国で急速に広まったピクトグラムの原型となった。
少年ジャンプ(1969年創刊)の時代
週刊漫画誌「少年ジャンプ」は1969年に発刊される。それまでにも少年週刊漫画誌として「少年マガジン」「少年サンデー」(ともに1959年創刊)などがあったが、既存のものとの違いとして、少年ジャンプには、掲載する漫画のコンセプトとして「友情・努力・勝利」のいずれかが含まれることという明確な方針があった。
少年ジャンプは短期間のうちに多くの少年漫画誌の中で発行部数トップとなり現在にいたるまでその地位は揺るがない。少年ジャンプの存在が漫画を「風刺・告発」の道具から、青少年向けの純粋なエンターテインメントメディアに変えたということが言えるだろう。
80年代後半以降の少年ジャンプ連載漫画から作られた代表的アニメには「ドラゴンボール」「スラムダンク」「ワンピース」「テニスの王子様」「鬼滅の刃」「呪術廻戦」などがあり、世界的に有名なアニメの多くが”少年ジャンプ出身”なのである。
世界初の絵文字(1999年)からLINEスタンプへ
i mode (i モード)
携帯電話の爆発的な普及が始まった時期、世界で初めてキャリアメールの受送信やウェブページ閲覧ができるサービスが1999年の日本で始まった。「i モード」である。
「i モード」通信には、文字情報の補助として使われる専用の絵文字が付属していた。これが世界初の絵文字である。
LINEスタンプへ
変化のはやい通信機器分野では、すでに旧時代の遺物となり、2016年にはニューヨーク近代美術館では展示物として176種類の絵文字が紹介された。しかし、短い文字による文でコミュニケーションをすることが当たり前になっていく時代、絵文字は文字情報を補填し、誤解を最小限に抑える大きな役割を果たすものとなった。現代のLINEスタンプなどにつながる「絵」の文字化、言語化もまた日本で始まったのである。
以上
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