日本を学ぶ(2)日本人の来たみちⅠ

日本を学ぶピンク
このシリーズは、2017~2024年にかけて、中国の大学の日本語学科上級生向けに行った「日本国家概況」等の授業教案をまとめたものです。

ヒトの起源について

 ヒトゲノム解析が進み、人類の起源、さらに日本人の起源に関する従来の定説の多くが覆された。とりわけ、人類の起源に関しては、驚くべき事実が次々と明らかになりつつある。未だ研究の途上で、今後新たにわかることも多いと考えられるが、現時点までの成果を、まとめておこう。

チャールズ・ダーウィン(1809-1882年)

チャールズ・ダーウィン(1809-1882年)

 1859年にダーウィンが「種の進化」によって提唱した進化論は、中世的な世界観、すなわち人間が他の生物とは異なるものであるという人間中心的世界観を覆すものであった。ヒトもまた地球上の多くの生き物の一つに過ぎないという事実が、その後の人類の世界の見方におよぼした影響は計り知れない。
 同じように2010年代以降、人類史に関して得られた新たな科学的知見は、地球上でここまで繁栄した人類に対する、新たなパラダイムを提供してくれるだろう。その意味で、本稿の記述については、“日本を考える”、というより“人間および人間社会の成り立ちを考える”新たな視点を考察する素材として活用してほしいと考えている。
 従来の考え方として、現生人類、すなわちホモサピエンスは、他の動物よりも知性に優れていたため、猿人から現代のホモサピエンスまで順調に進化を続けてきたのだというものがある。しかしこれはどうやら間違っていたのかもしれない。実際には多くの人類の種の中で競争があり、その競争の勝者であるための条件として、例えば、弱さ、優しさ、思いやり、といった一見、進化論的考えではマイナスとなりそうな属性が、むしろ不可欠の要素となっていた。さらに地球の歴史の中でたびたび生じた、天変地異などを含む環境要因もまた、従来考えられていたより、大きな影響を及ぼしてきたということである。
では、そのような観点に立ち、人類の歴史を最初から整理してみよう。

人類の進化は一本道ではなかった

人類の進化は一本道ではなかった

 上左のような図を見たことがあるだろう。猿が長い年月をかけて、徐々に進化してヒトになるという進化論的な考え方を示したものだ。しかし、人類はこのような進化の一本道を経て、現代のヒト(ホモサピエンス)になったのではない。人類の直接の子孫である猿人から現在のホモサピエンスにたどり着くまでに、約20種もの人類が現れ、そして絶滅していった。その壮大な勝ち抜き戦の結果、たった1種の人類、すなわちホモサピエンスが現在地球上に80億人という大繁栄をするにいたったのである。

人類進化を犬に例えると?

人類進化を犬に例えると?

 例えば犬なら、多くの種類の犬がいる。犬に例えれば、多くの種類の犬のうち、たった一種類が生き残り、地球を覆い尽くした状況を考えればよい。そして、その一種が残った理由は、決して強さ、賢さといった優秀な性質によるものではないということだ。

440万年前、ラミダス

 人類の祖先はすべてアフリカ生まれだ。人類の直接の祖先であることがわかっている猿人は「ラミダス」と呼ばれおよそ440万年前に生まれた。当時のアフリカは森林地帯が多く。ラミダスは樹上生活をしていた。彼らは、樹上生活をしていた猿人の中では珍しく、二足歩行をしていたことがわかっている。実際は樹上では、四足歩行の方が生活しやすいのだが、彼らはたまたま二足歩行する変わり者であった。

樹上生活者ラミダス

樹上生活者ラミダス

 やがて気候変化により、森の恵みが減り始め、いつも樹上で生活しているわけにはいかなくなった。ときには地上に降り、周辺を探し回り、落下した木の実や熟した果実を拾って木の上に持ち帰る必要が生じた。その行為は、二本の手でそれらを持っていくことのできるラミダスにとって有利であった。他の猿人より多くのものを、両手で抱えて持ち帰ることができたラミダスのオスは、獲得した食料をメスや子供のラミダスに分け与えていたらしい。食事を持ち帰るオスと、子どもを育てるメスという、小さな分業が生まれ“家族”のようなものが生まれた。当時の他の種は、一匹の最も強いオスが、多くのメスを支配するという生活様式が一般的であった。つまり他の猿人は、多くのメスを支配するボスになるために、他のオスとの戦いに勝たねばならない。同種間の争いというものが生まれる。このことは種の生存にとっては、力の浪費である。ラミダスは、戦いのための牙が他の種に比べて小さいことがわかっている。これはオス同士の戦いが必要なかったことを示している。
 ここで重要なことは、ラミダスは多くのものを抱えるために、二足歩行になったのではなく、二足歩行をしていたラミダスが、たまたま多くの食べ物を抱えることができるようになったということだ。彼らは、環境の変化にたまたま適応でき生き残ることができた。偶然の産物といってもよい。そして、ラミダスの選んだ、争わず、オスとメスとで分業し家族単位でつつましく生きていく方法が、他の猿人に優越する競争力となったのだ。

アファレンシス

 370万年前、それまでの流れを受けて地球環境に不連続な変化が起こった。乾燥が進み、樹木で覆われていたアフリカの大地の多くが森のない、草原となった。もはや樹上生活をすることができなくなった人類は、地上に降りるとまことにひ弱な生物種であった。戦うための強い牙や力もなく、走るのも遅かった彼らは、地上最弱の動物といってもよかった。
 ラミダスから分化したいくつかの人類の中で、現在の我々の直接の先祖となったアファレンシスには、いったいどのような生き残りの戦略があったのだろうか。

集団行動で身を守るアファレンシス

集団行動で身を守るアファレンシス

 その答えは、発掘された彼らの骨の分布からわかった。つまり彼らは、草原を移動する際、必ずいくつかの家族がいっしょになって“集団化”していたことがわかった。もちろん、それでも強い動物に襲われれば、ひとたまりもないが、数を増やすことでなんとか生き延びたのがアファレンシスである。彼らは主に虫や草を食べて生きながらえたという。
 集団化、仲間をもつことが、人が人であるための大切な生き残りの要件となり、現代の我々に引き継がれている。

ハビリス対ボイセイ

 さてアファレンシス後の人類の分派の中で、二つの種が並び立った時代がある。ホモハビリス(以下、ハビリス)とパラントロプス・ボイセイ(ボイセイ)の二種である。彼らは240万年前から60万年も共存したライバル同士と言える。
ハビリスとボイセイの頭蓋骨を比べてみると、大きな違いがある。ボイセイは大きな顎をもち、噛むための大きな筋肉をもっていた。通常の3~4倍の噛む力をもっていたのではと推定されている。体格もがっしりしていたボイセイの仲間は、学術用語でも「頑丈型猿人」と呼ばれている。

石器を作ったハビリス

石器を作ったハビリス

 ところが我々の先祖として生き残った種は、頑丈なボイセイではなく、ハビリスの方であった。他の猿人と比べても弱い方であったハビリスは、ハイエナのような、というよりハイエナが食べ残したような残り物の肉を食べて生きていた。骨の中の髄も彼らにとっては栄養源であった。
 逆転劇はそのような弱さから生まれた。ボイセイのように強い歯で骨にこびりついた僅かな肉や、骨の髄をかじることができなかったハビリスは、おそらく偶然の結果、硬質の石から刃物のような鋭いエッジをもつ石器を作り出すことに成功したのだ。人類にとって欠かすことのできない特質である、道具の使用が彼らから始まった。技術の誕生と言い換えてもよい。新たな進化は、力が弱くライバルに勝てない状況を跳ね返した、ハビリスの石器発明によって生み出された。

ホモエレクトス

 ハビリスの分派から一歩抜け出したのは180万年まえから5万年前まで長く繫栄を続けたホモエレクトスである。肉食を覚えたハビリス以降の人類は、急速に巨大化していった。ラミダスの身長が120㎝程度しかなかったのに対し、ホモエレクトスは、ほぼ現代の人類と体格的に近くなった。以前の猿人と異なり、ホモエレクトスにはほとんど体毛がなかった。彼らに至って、再び大きな逆転劇が起こった。それは、自然界において、“狩られる側”から“狩りをする側”に変わったということである。
ただ彼らの狩りの方法は変わっていた。ホモエレクトスは、標的とした動物を複数人でひたすら追い続ける。時には何日にもわたって追い続け、疲れ果て動けなくなった動物を倒すという超持久戦であった。

マラソン選手ホモハビリス

マラソン選手ホモハビリス

 オリンピックのトラック競技に、地球上のすべての動物が参加したとして、唯一、人類が金メダルを取れる競技がマラソンと言われている。人以外の動物の体はすべて体毛で覆われている。その体で長距離を走ると、発汗による体温調節が効かず、いわゆる熱中症になってしまうという。肉食によって筋力が増し、体毛がなくなり、発汗でうまく体温調節ができるようになったホモエレクトスは、他の動物にない“走り続ける”能力によって、狩りをするようになった。
 体力とともに、知力も向上した。彼らの頭蓋骨の中には、すべての歯を失ってからも、相当時間生き続けた人がいたことがわかっている。彼らの時代に、歯がなくても生き続けられたということは、何らかの形で周囲の人からサポートを受けていたことを物語っている。つまり成長した脳はついに人を思いやる心をもつにいたったということである。
出アフリカ

出アフリカ

 ここまでの話は、すべてアフリカ大陸での話である。さて、行動領域が広がったホモエレクトスはついにアフリカを抜け出す。100万年前ぐらいのことである。彼らは主にアジアを中心に勢力を広げてゆく。アフリカに残った人類の中からはネアンデルタール人が台頭した。ネアンデルタール人は30万年前にアフリカを出、ヨーロッパが生活の舞台となる。そしてアフリカに残った人類の中から20万年前に生まれたのがわれわれの先祖ホモサピエンスである。つまりこの時点で世界に人類が広がり、アジアにホモエレクトス、ヨーロッパにネアンデルタール人、アフリカにホモサピエンスと3種の人類がいたわけである。

ホモサピエンス絶滅の危機

 3つの種の中で最初に絶滅の危機を迎えたのはホモサピエンスである。19万年前以降地球は氷期に入り、寒冷あの波が押し寄せた。ホモエレクトスはアジアが比較的温暖だったため生き残った。しかし、徐々に寒冷化したため、結局ホモエレクトスは11万年前ぐらいまでに絶滅したと考えられている。ネアンデルタール人は寒冷化に対応する身体を遺伝的に作り上げていった。
 もっとも寒冷化の影響を受けたアフリカは砂漠化し、食糧危機が訪れた。ホモサピエンスは徐々に南方に追い詰められ、人口が減っていった。そして南アフリカに追い詰められたホモサピエンスの集団のうち、海辺で貝を見つけ食べ始めた人々がいた。人類が海の幸を食料とした始めである。それまでどの動物も食用にしなかった貝に興味を持ち、食べてみたという強い好奇心をもつホモサピエンスだけが生き残った。最終的に南アフリカの海岸で生き残り、その後全世界に展開していった我々の直接の祖先であるホモサピエンスは1万人にも満たなかったとされている。
 そのホモサピエンスがアフリカ大陸を出たのが5万5000年前、日本列島に到達した人類として最古のものは3万7000年前と言われている。日本へ到達する前に、彼らにはネアンデルタール人との生存競争があり、ユーラシア大陸を移動していく長い旅がある。ホモサピエンスの出アフリカ以後の話は次回に続く。

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