2024年 南通
中国は、社会も人も変化が早い。中国について何か言う時、いつ時点の話かは割と重要である。ということで、現在2024年12月である。現時点の私の身近な話題から始めたい。大学の構内に住んでいる。1年前までは、学生の寮を改造した薄汚れた部屋に住まわされていたが、昨年から新築13階建ての職員宿舎の最上階に移った。南通名物の南通五山がよく見えることは以前書いた。駐在員の頃の立派なマンションには及ばないが、まあまあの住まいである。
再びエレベーターの話
エレベーターを極力使わないようにしている。おかげでジムに通う必要はない。健康のため、階段を使っているのではない。13階は各国からやってきた外国人講師が住んでいるが、現在のところ12階より下には大学院生、または若い中国人教師が住んでいるという事情による。
誤解のないように言っておくが、中国人の公共マナーは全体としては年々良くなっている。昨年開通した南通地下鉄などでは、乗客数が少ないせいもあるが、日本の地下鉄や一部私鉄などと比較しても、安心して乗降でき、乗っていても大阪の一部の私鉄のように、変なおっさんや不良のガキに出会って気分を害することもない。地下鉄の乗り降りを監視する駅員が配置され、しっかりと見張っており、車内でも公安による巡回をよく見る。
残念ながら,大学の職員宿舎のエレベーターを監視する人間はいない。結果は推して知るべしで、下手に、傍若無人な学生たちと乗り合わせたりすると、しばらく気分が悪い。半日とまでは言わないが、たとえ10分でも不快な気分が続けば、時間をロスした気分になる。であるから、例えば1日の初めの大切な時間を台無しにするリスクを冒すよりは、階段をゆっくり上り下りしたほうがよいということだ。実際、測ってみると階段を降りるのは3分、上りでもゆっくり上って6分はかからない。
些細な事と思われるかもしれないが、こういうところにも今の中国の現状がある。中国には中国のマナー、常識がある。傍若無人はそのまま今の現代中国語としても使う。文字通り、傍に人無きが若く、ということだが、中国では傍の人を気にかけてはいけない。そばに人がいないかのように振る舞わなければ自分の行動スピードが落ちてしまう。だから傍若無人こそ将来を担う学生に求められる行動原理のひとつなのだろう。
コロナのおかげで衛生観念も広がった。人を見たら保菌者だと思え、そういう心構えも大切なようだ。エレベーターのボタンを指で押す学生はいない。鍵かスマホの角を使う。おかげで行き先階のボタンは傷だらけになっている。
2006年夏 京都
さて、2006年7月2日、私は2年ぶりに京都本社に出勤した。決して歓迎されない出戻りであったが、当人いっこう気にしていなかった。以前のような、研究の第一線というわけではなく、業務は一日中パソコンに向かってやる事務的な仕事だった。淡々と仕事をしていけばよい。そう思っていた。
三日前東京を立ち、昨日の昼過ぎまで上海にいたことが、ずっと以前のことのように思えた。
中国に関連することは、自分の中で区切りがついていた。あとはS総経理からの返事を待つだけだった。もちろん記念碑のような大袈裟なものは、もとより期待してはいなかった。 Sとは気心が知れていた。彼なら私の意図を汲み、苗木の一本ぐらいは買ってきて、植えておいてくれるだろう。実際はその程度のことしかできないだろうと、心つもりしていた。
Sは私と同い年で昭和32年生まれである。この年代の中国人には、ちょっとした過去がある人も多い。Sは足が不自由である。ただしゴルフ程度ならできる。19〇〇年から10年の中国は、文〇〇革〇の時代である。人から聞いた話だが、Sの父も〇〇され家族は〇〇省の〇〇に移り住んだという。田舎である。事故あり、大怪我をした。田舎ゆえまともな医療も受けられず、一生片足を引きずって歩くようになってしまったらしい。そういうSであるので、人の痛みがわかるであろうと思った。
返事は三ヶ月後、Sと南通工場のメンバーが本社に来て、戦略方針会議があった時まで待たされた。南通を出発した日本人幹部の一人Tが、上海を発つとき、浦東空港から電話をくれた。社内ではなく、会社の近くの喫茶店で会うことになった。
喫茶 リトルドラゴン
喫茶「リトルドラゴン」にはTがいた。Sは急に社長に呼ばれ、来れなかったという。S総経理から預かったという、やや厚めの封筒を渡された。中身は、あとで見てほしいという。Tとは南通の状況などについて話した。15時20分、会社に戻る。直接自席に戻らず、地階の食堂横トイレに入って急いでSからの封筒を開けた。久しぶりにわくわくした。
やや大きめの業務用の茶封筒の中には、京都へ帰る前の3か月、私が苦労して書いた便箋が、封もされずそのまま無造作に入れられていた。他には本当に何も入っていないのだろうかと、封筒の中をしばらく覗いていたことを覚えている。
「ちゅうごくじんめ」私はトイレの個室でつぶやいた。
(続く)
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