中国5000日(1)鎮江くんだりまで無駄足を踏んだ話

鎮江の高級ホテル36階から長江を見下ろす

週末、南通から鎮江へ

 先週、所用で鎮江まで出かけた。上海でIT関連の会社を立ち上げた知り合いの中国人Y氏が、どうしても直接会って話がしたいというので、彼の滞在先の鎮江へ出向いた。晩飯を一緒にとのことで、ホテルの手配も済ませたという。

 鎮江は、日本人には馴染みの薄い街だが、長江南岸を河口から遡れば、上海、常州、鎮江、南京と続く。鎮江は揚州の対岸に位置する歴史ある街である。日本人で鎮江を知る人は、遣唐使として中国に渡り、帰国せずこの地で一生をおえた阿倍仲麻呂の碑がある場所として記憶に留めている人が多い。観光で訪れる中国人も多い。

 そういう鎮江へ行くのに、今回はバスを利用した。南通からは約3時間の旅となる。数年前までは、この程度の近場の移動は長距離バスが多かった。が、最近では南通にも新しい鉄道駅ができたこともあり、列車移動がほとんどである。ひさびさにバスに乗ってみると、大型バスの座席は以前より格段に良くなっている。以前は、確か一列五席の狭苦しい席だったのだが、一列四席、しかもしっかりした作りのシートで、飛行機でビジネスクラスにグレードアップしてもらったかのような気分である。

南通長距離バス東駅

 しかし、走り出してみると運転の荒さは変わらない。よって乗り心地はすこぶる悪い。環境が急速に変わっていても、人間の方はそう容易に変わるものではなく、なかなか追いついてこない。現代の中国を象徴している。

予定変更

 約束は夜だったが、初めての街であるので、少しぶらぶらするつもりで、昼過ぎのバスに乗った。出発してすぐ、電話があった。電話する社長
「急用で上海に戻ったんです。え、もう出発した?」

「そうですかあ。ホテルはまだキャンセルしてませんから、そこに泊まってください。」

 日本仕込みの中国人らしからぬ口調で、続けて
「鎮江ははじめてですか。では、あすは金山寺にでも行って、楽しんでください。では。」

 日本で日本語を勉強したのなら、まずは
「すみませんが…」あるいは「ごめんなさい…」というキーフレーズを挟むことを、なぜ学習しなかったのかと思う。
 中国人ってやつは、と思いかけて、いやいや、これがいけない、と自分の思考回路にフタをする。ちょっと古いが、日本にも例えば「ヒルズ族」などと呼ばれた、いかにもイヤミったらしいY氏のような若い社長が、山ほどいたではないか。

鎮江の高級ホテルで考えた

 鎮江の高級マンション型ホテルさすがにホテルはよかった。街中のどこからも見える、おそらく鎮江一の高層ビルの最上階に近い36階の部屋である。全面ガラスの壁一面に見える鎮江の街と長江の姿は絶景である。購入したマンションを、遊ばせておくのももったいないので、ホテルとして運用しているもののようだ。キッチン、電化製品も揃っている。

 貧乏日本人教師である自分には、滅多なことで泊まれるような場所ではなかったので、せいぜい、ゆっくりさせていただくことにした。部屋で、あるいは別室のトレーニング室のランニングマシン上で、時間と共に移り行く長江の風景を眺めた。こういうリラックスの方法も、なかなか良いと、Y氏に感謝しそうになる。

  中国に来て長い。改めて中国関連の仕事を始めて今年で20年が経過していることに思いいたった。上海、常熟、南通、と長江河口付近の小さな範囲での生活だったが、駐在員として、留学生として、さらに日系中小企業の総経理として、またある時は小規模ながら起業者として、最後には中国の若者に日本語を教える教師として、さまざまな立場で、ここ中国にいた。立場、見る角度によって、中国という国はずいぶん違って見える、というのが正直な感想だ。

懐かしの長江フェリーを発見!

長江フェリー あれこれ、思い出に浸りながら、スマホを探っていると、長江を渡る連絡船の写真が目に入った。20年前、初めての中国出張時に上海から南通へ渡るために利用したフェリーだ。今でも同型船が、運航しているとは驚きだ。懐かしい。
紹介サイトには、
「3元で楽しむ、揚州-鎮江の旅!」
といった風のキャッチコピーがある。
Y氏のおすすめにそのまましたがって、金山寺に行くのもなにやら芸がない気がする。
 明日は20年ぶりに長江を渡る連絡船に乗ることに決め、鎮江の夜景と、黒く見えなくなった長江を見下ろしつつ、眠りについた。

(続く)

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