日本語教師10年生
中国の大学で日本語教師をしている。あれよあれよという間に時がたち、会社勤めの空き時間、ボランティアで教えていた時期を含めると10年目である。おそらくこの世界ではベテランのうちに入るだろう。以前、リタイア後の小遣い稼ぎ的な仕事としては、おすすめだという記事を本ブログに書いた。
中国の大学で日本語の先生になった時、驚くこと
一つだけ中国で教える際の特殊事情を書くのを忘れていた。担当する科目は基本的に選べない上、日本語以外の、日本史だの、文化史だのといったことを担当することがある、ということだ。大学によっても、また人によっても違うのかもしれない。が、私の場合、過去、受け持った講義を挙げてみると、「日本国家概況(日本史)」、「日本国家概況(日本地理)」、「日本国家概況(日本文化)」、「日本経済」、「日本語言文化概論」、「日本時事問題解釈」、「日中文化交流史」、「日本社会文化概論」など、かなり多彩である。
日本人なのだから外人向けの日本史ぐらい教えられるだろうとでも思われているのか、日本に関する科目なら何でも回ってくる。外国人向けだから常識的な範囲を適当にやればいいということだが、いくら外国人相手でも常識的な範囲を1学期間5か月にわたって毎週話し続けることは至難の業である。適当なテキストも見当たらない。
理科系人間で、日本語教師養成講座しか経験していない自分が、最初の学期「日本史」をやらされた時は、なかなか大変だった記憶がある。困り果てた後に、私が採った授業計画作成法は、とりあえず自分の見知った場所の話題から初めて、テーマを膨らませていこう、というものである。
私の対策
幸い、現在まで生活した場は、文化的要素あふれる地である。生まれは兵庫県川西市である。川西市から能勢電車で北へ少し入ると、清和源氏の故郷である。清和源氏は鎌倉幕府を開いた源頼朝のご先祖様。学生時代は京都市内で過ごし、現在は京都府宇治市に住んでいる。京都、そして近隣の奈良と言えば、文化的コンテンツは多過ぎるほどであり、話題作りには事欠かない。会社員時代には東京に3年、名古屋に2年住んだことがある。とりあえず自分の生まれた場所、住んだ場所には何がある。それはいつ頃の何で、どういう意味があって、などということを調べてみる。
意外な発見も
そこには歴史、地理はもちろん、経済だの言語だの、民族だのという話がからまった人間の活動がある。いろんな要素が集まって文化を形成し、最終的に現代へとつながる道筋が見えてくる。教科書的にそれぞれの科目を勉強をして、わかる以外のものが、そういう作業の中から見えてきたりする。
そういうわけで、ここ数年は夏冬の休暇には、次学期の講義テーマに沿ってあたりをつけた場所を訪れ、教案のヒントを見つけ出すのが通例になっている。もともと出不精の筆者ではあったが、慣れてくると動き回るのも苦ではなく、というか楽しくなってくる。遊びではなく、「取材」なのだと自分に言い訳すれば、各界で現役で活躍している友人たちへの、罪悪感もなくなるというものだ。
自画自賛になるが、実際に見て考えるという“現場主義”は、けっこう良い方法であった。おかげさまで、網羅的な知識はなるほど専門家にはおよばないにしても、日本のいろんなことに常に関心をむけるようになり、歴史的、文化的に価値のありそうな観光地には頻繁に足を向けるようになった。家に引きこもって老化をいたずらに促進するよりは健康的である。
「日本を教える」教案をまとめていきます
さまざまな日本文化トピックで90分弱の話をけっこうやってきた。授業は2クラス分2回やるが、終わってしまえばそれで終わり、お蔵入りとなる。自分としては、これで終わるのはいかにももったいない(気がする)という話もある。まずは、同じような境遇の先生の参考になるかもしれない。さらに言えば、外国人向け、とりわけ中国人向けのストーリーではあるが、日本人にも参考にしていただけるかもしれない。どのような内容になり、どのくらい続くかわからないが、時間を見つけて一つ一つ記事にしていきたい。
というわけで、これは「日本を教える」シリーズ“予告編”。恥をさらすのを承知で、以後、中国も含め、あちこち歩き回って考えたことなどをご紹介していきたいと思っている。
蛇足ながら、
24年秋学期である今学期、新たに担当したのは「日本社会文化概論」。さすがに慣れたもので戸惑わなかった。歴史だの、経済だのと違って、日本に関連するテーマなら適度に拡大解釈してなんでも当てはまるから自分に話せそうなテーマを選んでいけばよい。
ちなみに今週は、「もののあはれ」と本居宣長について教室で熱く語ってきた、つもりである。学生の理解がどの程度であったかは、恥ずかしながら不明だが、少なくとも私はまた一つ勉強させていただいた。
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