もちろん日本語の多くは中国からやってきたのですが、一見もとから日本にあるように思える言葉でも、もとをただせば由緒ある漢籍中からというものも少なくありません。そんな言葉を集めました。
孫の手(まごのて)
おじいちゃん、おばあちゃんが痒い背中を孫に掻いてもらう情景が目に浮かびます。そして、孫がいないときはこれを使おうということで「孫の手」というと思いきや、
せっかく(折角)
「せっかく早く来たのに中止になった」のように、主に特別な努力がかなえられない時使う言葉です。
ひそみにならう(顰に倣う)
こちらの方は「东施效颦」という成語で有名ですが、上の「せっかく」とよく似た由来の言葉なので合わせて紹介しておきます。
春秋時代の「臥薪嘗胆」の故事でも有名な越王勾践(こうせん)と呉王夫差(ふさ)の物語にさかのぼります。夫差に敗れた勾践が献じたのが中国四大美女の一人と言われる西施です。夫差は西施の色香に溺れ、とうとう国を傾けたというお話。
その西施が胸の病気のために顰めた顔がまた一段と美しかったそうです。それを見ていた東施という醜い女がまねて気味悪がられたという話から「东施效颦」という成語が生まれ、日本へやってきて「顰に倣う」という言葉になったということです。
さた(沙汰)
「沙」は「砂」のこと。「汰」は「淘汰」の「汰」ですから選び分けるということ。つまり、砂をすくって篩(ふるい)でゆすって、砂金と砂に分けるということから、価値あるものと無価値なものを選り分けるという意味に使われるようになりました。
せっかん(折檻)
前漢の朱雲という人が、皇帝である成帝に諫言(かんげん)、つまりあやまりを正そうと意見をしたそうです。すると、皇帝の怒りを受け宮廷から引きずり出されようとしました。
ぎゅうじる(牛耳る)
「牛の耳」を動詞化して「牛耳る」という言葉にしているのがおもしろいですね。
さて「牛の耳」です。もとは春秋戦国時代、国と国とが同盟を結ぶ時、お互いの信頼を強めるため盟主はお互いに生きた牛の耳をちぎり、その血をすすって同盟を誓い合ったといいます。
そんな故事から同盟の盟主になることを「牛耳をとる」と言い、それが転じて組織などを実力で支配する意味になりました。
赤い糸で結ばれる(赤縄)
「運命の赤い糸で結ばれた二人」などという言い方をよくしますが、これももともとは唐の時代の「続玄怪禄」の中の「定婚店」にある故事だそうです。「夫婦となるべき男女は、早くから目に見えない赤い縄でお互いの足がつながれており、どんなに避けようとしても結局は結ばれることになる」というもの。
この赤い糸で繋がれると仇同士ても離れられなくなるということで、ロマンチックというよりむしろ凄まじいですね。
日本人の中には、太宰治の「思い出」の中で青森港で太宰が弟に語って聞かせる話としてこの話を知ったという人も多いはず。
青森県の青森港には青森と函館の友好を祈念し、お互いの足を赤い糸で結んだ男の子と女の子の像「赤い糸のモニュメント」が函館の方向を向いてたっています。
(以上、「ことばの道草」岩波書店辞典編集部編、精選版日本国語大辞典 などを参考にさせていただきました)
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