「日本語教師のネタ帳」300記事目
これが当ブログ300記事目になる。昨年7月22日に最初の記事を書いたので1年以内に300記事まで書くことができた。以前100記事目の時に「アウトプット大全」の中で見つけた「ブログの100-300-1000の法則」というのを紹介させていただいた。
「アウトプット大全」によると、300記事は、ようやくブロガーへの道の第二関門の通過点ということになる。1000記事が一人前である。300記事という数がどういうレベルかというについて、この本から引用させていただくと、
(ブログ記事が)100記事を超えると、毎日ある程度の人が見てくれるようになります。300記事を超えると、検索エンジンでも検索結果の数ページ以内に表示され、検索エンジン経由のアクセスが増えてきます。1000記事を超えると、検索エンジンで1ページ以内に表示されるページも増えてきて、月間で数万~10万PV以上のアクセスが期待できます。Googleの検索エンジンの仕組みからいえば、良質な記事が1000本以上あると「いいブログ」「人気ブログ」と認められやすい。
(学びを結果に変えるアウトプット大全 樺沢紫苑著 から)
ブログを始めた当初は、”記事数が300を超えると検索エンジンで表示され…”というのも半信半疑だったが、最近は確かにGoogleへの表示回数や検索エンジン経由の訪問が多くなってきているようだ。以下はグーグル・サーチコンソールの「表示回数、クリック数」データである。
以前は新しく書いた記事しかアクセスがなかったのに、最近では新しい記事だけでなく過去に書いた記事も読んでいただけるようになってきた。検索エンジン経由が増えたためだろう。
ただ、筆者は中国に住み、中国で日本語を教えているのだが、初期の数ヶ月を除いて、肝心の中国大陸での閲覧が実質できなくなってしまっているのは悲しい。理由はちょっとわからない。
ともあれ、全体として見れば、樺沢先生の言う通りの傾向になってきているのは心強い限り。なんとかあと4年程度で1000記事達成したいものだと思う。新しい景色が見えてくるに違いないと考えている。
人生100年時代の日本語教師
以下、少し自由に書いてみたい。筆者は専業の日本語教師として南通で5年働いている。最近次年度の契約更新ができたのでとりあえず6年、少なくとも66歳までは中国で日本語教師を続けさせていただくことになった。
ただ南通に来る前、専業でなく兼業の形ではあるが、別の街(常熟)のやはり大学で2年間教えていた。そういう意味で中国での外国籍日本語教師歴は7年。8年目に入ったことになる。
さらにその前をさかのぼると、46歳の時、化学研究職から不慣れな海外事業部の中国担当に配置転換になり中国とご縁ができた。以来20年目である。”中国”というキーワードで見ると20年、その中で日本語教育でほぼ10年の経験ということになった。
早いもので中国関連というくくりで20年、それ以前大学院修士を出て化学研究者として働いた期間の20年に並ぶことになる、もはやいわゆる”第二の人生”というより、”セカンドキャリア”と言った方がいいかもしれない。
狙ったわけではないが、55歳ぐらいから次は”中国で日本語教師”というのをターゲットにしていたのが実現し、結果的に充実した60代を過ごさせていただいている。この辺りのことは以下に書いたので、しかるべき年齢の方はぜひ参考にしてほしい。
「中国の日本語教師」としての本音
中国の大学で7年間、日本語教師いわゆる外教をやってみての、ちょっとした”裏感想”的なものを述べたい。
そもそも「教師」が社会人であるかどうかは議論の余地がある。筆者は「学校」は社会に出る前の訓練所であるから、そこで働く人間は社会人ではないと思う。筆者の家人は長く日本の高校で教師をしていたので、「教師」なるものがどんな人種か、ある程度は聞き及んでいる。
「教師」は自分の能力に関わらず、教室では、その場で”いちばん偉い”人間として君臨しなければならない。教室だけで済めばいいのだが、習い性となり、日常的にもどこか”上から目線”の態度が抜けない、というのが”教師臭”の原因だろうか。
実は”中国の日本語教師”となると状況はさらに深刻だ。日本で勉強を教えるなら、例えば教師の能力を超えるような優秀な生徒からの、意地悪な質問に備えなければならないかもしれない。小中高なら父兄からのクレームもあるだろう。要は”怖いものがある”。中国でネイティブの日本人が日本語を教える時、教師のレベルに肉薄できる学生がいるわけがない。日本語で博士をとった中国人教師でも日本語の運用能力だけなら、なんでもない普通の日本人である外国籍教師に一目置くというものだ。”怖いもの”がなくなる。”怖いもの”がなくなると人間ダメになる。
中国の大学で日本語教師をやった者は、日本では一般的な仕事はともかく、本職の「日本語教師」にすら採用されにくいという。わかるような気がする。
岡田斗司夫という大学の先生のYouTube動画で参考になるコメントがあったので引用したい。
僕はあの、大学で先生やってるんですけども、先生やりながらまともな人間であるっていうバランスとるのは、すごく大変です。先生っていうのは、しゃべってれば必ず若い人が「うんうん」って話を聞いてくれる職業なんですね。こんな職業にいながら、普通の人間の常識的な感性を持つっていうのが、もう本当にバランスなんですね。この子ら別に楽しくて聞いてるわけじゃない、僕のこと好きで聞いてるんじゃなくて一応学生だからという立場で聞いてるんだということを納得しないと、ついつい私語をした学生に対して怒りを持っちゃうようになるんですね。なんか、当たり前ですよ。だって学生に対して大学で授業してたら私語をするのは当たり前なんですよ。だっておもしろくないわけですし、それ以前におもしろいおもしろくないじゃなくて、僕の能力の問題じゃなくて、興味がない話をこの授業聞かないと単位が取れませんよという強制力で聞かしているわけだから、そりゃ私語ぐらいするの当たり前なんですよ。ところが先生って言うのをずうっとやってると、私語をする学生に怒りをもっちゃうようになるんですね。聞くのが当たり前だって思ってると。じゃあ、学生としてお前らはっていう風に上から目線でどーんと説教するような人間にどうしてもなっちゃうんですね。
まとめると、こういうことだろう。
- 1.先生をやりながらまともな人間であることは難しい
- 2.先生をやると、上から目線でどーんと説教するような人間になる
繰り返すが、単なる「教師」ではなく外国での日本語教師となるとリスクはさらに高まる。
私にとっての社会への窓 ブログ
上に書いたような教師の非社会的性質というのは「自分の仕事を徹底的に批判されることがない」ということが原因ではないかと思う。1980年代~2000年代の日本の厳しい競争社会の中で20年間揉まれてきた筆者としてはそう思う。
さて、この記事は最近ブログのアクセスが上がってきたというようなことから始めた。実はアクセスが上がると良いこともあるが、悪いこともある。良いことはよきアドバイスや質問、あるいは問い合わせをいただくことである。悪いこと、これは逆にある一定の割合で、記事やその内容に直接関わらない、一言でいえば悪意ある発言、心無い発言を目にすることである。無視すればよいのだが、なかなか心が強くなれない。
自分の主張がありそれに賛同する人がいる。建設的な意見をする人がいてくれれば自分の誤りに気付くこともでき、修正が可能だ。自信を失うこともあるが、そのような経験も大切だ。また、先のように悪意を持ったものから意見を通り越した妨害を受けたりもする。百害あって一利なしだと理屈ではわかっていても無視できない。そういうもろもろのものが混ざった”場”が、良きにつけ悪きにつけ、”社会”というものではあるのだが。
筆者にとってのいわゆる社会は当面ブログ経由のネット社会の中にしかないようではある。
コメント
先生、中国大陸でこのサイトにつくことはできませんよ。
最近アクセスが難しくなってきました。内容に問題があるのかもしれませんが、私には判断できません。
そうではありませんよ。先生はGFW(Great firewall of China)というものは知っていますか。実は僕、vpnで先生のブログを見ることができます。僕は先生の学生ですよ
確かに今はほとんどが日本からのアクセスのようです。中国でも普通に見れるようになるといいですね。