謙譲語の主体は「私?」
先般、尊敬語の主体は敬意を示す相手、謙譲語の主体は敬意を示す自分です、というような説明をしました。
列車がまいります
ただ日本の鉄道駅のホームで必ずといって流れるアナウンスは、
間もなく、列車がまいります。ご乗車をお待ちのお客様は白線の内側まで下がってお待ちください。
といったものです。この「列車がまいります」というのは「列車」が「お客様」に対して敬意を表しているように思ってしまうかもしれません。
しかし、実際は「話者および話者に関すること」を低めて敬意を表すのが謙譲語なので、このケースは「鉄道会社の社員である自分が、自分の会社に属する電車がくる」ということを低めることで、お客様に対する敬意を示していることになり、正しい敬語であるということになります。
テキストでは習わないかもしれませんが、日本ではよく見られる種類の謙譲語(謙譲語Ⅱまたは丁重語(ていちょうご)という言い方もあります)なので覚えておくとよいでしょう。
駅で見つけた注意表示
下の写真は私の故郷の家の最寄り駅で見つけた注意表示です。敬語とその種類が見分けられますか?
以下のような敬語が使われていますね。
- 電車とホームの間があいております。〔謙譲語Ⅱ(丁重語)〕
- 足元にお気を付けください。〔尊敬語〕
- 階段・エスカレーター付近は混雑いたします。〔謙譲語Ⅱ(丁重語)〕
- 前後に分かれてご乗車ください。〔尊敬語〕
「列車」と「電車」
ところで少し話題を変えますが、タイトル下の電光掲示板、「列車がまいります」と「電車がまいります」の二種類の表現があることに気付いた人もいるかもしれません。
「列車」と「電車」、どう違うのでしょう?
そもそもの違いは、電気で走るのが電車、他の動力で走るもの、蒸気機関車やディーゼルエンジン車などにけん引されて走るのが列車という違いがありました。
順番としては「列車」が先にあって、そこに「電気で走る列車」が現れて「電車」という言葉が作られたと言った方が正しいかもしれません。
電車が走るのは、電気が通っている部分、つまり「電化」された部分だけですから、長く都市近郊に限られていました。
ですから電化路線を走るのが「電車」、電化されていない路線を走るのが「列車」(蒸気、ディーゼル)という言い分けが生まれました。(下図、左)
しかしやがて全国が電化されて、言ってみれば全国すべて「電車」が走るようになるのですが…(図の右)
過去の言い方が踏襲(引き継がれること)されて、近郊の路線を走るのを「電車」、遠くまで行くのを「列車」という習慣は今でも残っているということになります。
新幹線なども、もともとの定義から言えば「電車」なのですが、やはり「列車」と呼びならわされているのはそのためです。
以上です。
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