15年程度中国関連の仕事をしています。うち10年は中国に住んでいます。そして2012年~2017年の5年間については、中小企業の現地子会社のトップとしてほぼ100%運営を任される形で仕事をしていました。
最初の頃は無我夢中でした。が、4年半経過した時点で多少心に余裕が持てたのか、今後、自分のような立場で中国で駐在員としてやってくる人へのアドバイスのようなものをメモ的に残しておこうと思って書いたものが以下の文章です。
あまり実用的なものではありません。具体的なアドバイスではなく、心構え的なものですが、今中国で仕事をしている方、これから中国に駐在員としてやってくる方の参考になれば幸いです。
任期に関わらず仕事は一つ
江蘇省常熟市にやってきて4年目も半分過ぎました。古参の多い常熟では中国赴任者としてはまだまだなのですが、自分の現在の考え方を残しておくことが、中国赴任1年生やこれから中国赴任を始めようとする人たちにもしかしたら役に立つかもしれないと思い、以下まとめました。
人によって赴任時間はさまざまでしょう。しかし任期にかかわらず、中国にいる間に一つ仕事をしてほしい。これに尽きます。どのような立場の人でも同じだと思います。自分はこの地で何をした、ということがはっきり言えることを目標に駐在生活を始めてほしいと思います。
前提条件としての安全の確保
中国で駐在員として仕事をする前に当たって、前提となるのが安全の確保です。
マズローの欲求5段階説というのをお聴きになった人もあるかもしれません。これは人間というものは、例えば食べる物がないという状況では、安全もクソもない。安全が保障されない段階で、組織に貢献しようとする欲求が沸くわけがない。つまり、右図で低次の欲求が満たされて初めて、より高い欲求が生まれてくるものである、というもっともな理屈なのです。
通常我々は日本で生活している限り、生理欲求、安全欲求は常に満たされていると言ってよいのです。だから生理欲求や安全欲求について意識することもありません。
残念ながら中国においては、さすがに生理欲求まで脅かされることはないにしても、安全欲求を満たせているかどうかは、まず各人が確認し、確保しておかなければなりません。
私は大丈夫、というつもりやってきても、残念ながら失敗例は後を絶ちません。中国で精神を病む人、女性問題で本社の世話になる人、飲酒が原因で亡くなる人、自殺する人は、いまだ思いのほか多いのだということを認識しておかなかればなりません。
仮に命を失ったとして、それは日本的に言うなら“名誉の戦死”かもしれません。ただし中国に限らず、グローバルスタンダードで言えば、自分の身すら守れず、家族を不幸に陥れる愚かな者なのです。自分の安全は自分で守る、まずはそのことをお願いします。
安全は担保されたという前提で、たった一つの仕事を成し遂げるため、3つのステップを踏んでほしいと思います。まずは現地での生活・組織に順応するためのツールを準備すること。2つ目は中国人の懐に飛び込み仲間として仕事を進めること。そして3つ目のステップがやりたいことに賭ける時期です。以下にひとつずつ説明します。
Ⅰ.セリフを覚える
「セルフを覚える」とは、下手くそでもかまわない、とにかく中国語でコミュニケーションがとれるようになりましょう、ということです。
そもそも異国の、人の心もまるで異なる組織に、その多くはたった一人の指導者として着任します。最初から思い通りに仕事ができると思う方が間違っているのです。部下たちは、見かけは同じように見えても、生まれ育った環境が全く異なる人たち、つまり価値観が全く異なる人々なのです。
さらに、中国といっても広い。赴任した都市にはその地の人々の気質というものがあります。そういうものを理解しようとせず、俺には俺さまのやり方があるのだと言っても通用しないでしょう。
ですから、最初から、仲間に入れてもらおうとするなど当然早すぎます。仲間に入れていただくための準備期間が第一ステップの時期。そしてそのための必要不可欠なツールは、やはり中国語ではないでしょうか。
実は中国語は仕事が落ちついてからという人が存外多いのです。なにせ忙しい。言葉は後回しという気持ちはわかります。しかし赴任後一定の期間をおいて、ある時点から一念発起してできるようになるというほど中国語も実は甘くないのです。実際の例から判断してこのことは真実です。
第一ステップは成果を上げようと思わない。赴任地の生活に慣れよう。コミュニケーションのツールを持つ。それだけでよいと考えます。
Ⅱ.舞台に上がる
生活にも慣れ当面の安全は確保でき、完全には程遠いが中国語で少なくとも仕事上のコミュニケーションができるようになった。さていよいよ中国人の懐に飛び込み、彼らとコミュニケーションをとりながら実際に仕事を進めていく段階となります。ただしこの段階はまだ本番ではありません。勝負の最終段階に向け、自分の立ち位置を決めるステップと心得ましょう。
あえて誤解を恐れずに断言します。仕事をするとは、演技をすることです。組織の中で自分の果たすべき役割、つまり役柄というのがあるのが通常です。それはまさしく演者のそれなのです。自らの個性はひとまず置き、まずはその役柄を演ずる力量がなくてはリーダーはつとまりません。もちろん個性のないリーダーはつまらない。しかしリーダーの個性など、あと出しでかまわないのです。
中国へ来れば元々の職位が一段ないし二段上がるのが通常です。本社課長なら部長、部長なら総経理という具合です。未知の役職にいきなり自分を置くのは容易ではありません。突然の主役抜擢ということです。
実のところを言えば、管理される中国人の側もそのことは十分承知なのです。畢竟あなたが部下を評価するよりも、まずあなたが部下たちの厳しい評価にさらされるということをお忘れなく。
そこで多くの日本人は失敗します。ある者は例えば自分は総経理であるから、自分の言うことにはすべて従えと高圧的な態度に出る。ある者は本社頼み、すべての決定権を本社に委ね、これは本社の指示であるからと単なる連絡役になり下がってしまいます。
ある者は日本ではこうこうと、事あるごとに日本のやり方が正であるかのように、文化の違いを無視して日本的な仕事の仕方を押し付けようとします。
中国人の懐に飛び込むとは上記のいずれでもありませ。自らを、例えば総経理なら総経理の役を演じるだけの存在であることを虚心坦懐に認めましょう。また認めるだけでなく、そのような者であることを中国人の部下に対しても少なくとも隠し立てしないことが大切ではないかと思うのです。
その上で人間としての誠意を見せることが一つの解かもしれません。そのような人間としての誠実さは、自ら率先して苦難に当たるリーダーとしての責任感につながり、結果的に人々に真のリーダーとして己を認めてもらえる結果となることが多いのです。
自分の演じる立場相応の信頼を得ること。これは誠に困難なことなのです。これに比べれば中国語をマスターすることなぞ比較しようもないほど容易なことだということがわかるでしょう。
Ⅲ.主役を演じる
仕事をするとは演技をすることであると書きました。これは中国に限ったことではないと私は個人的に思うのですが、一般には中国へ来て初めてそのことを実感するのが通常です。つまり自らの職位、職責は中国限定のものであり、この地を離れれば元の“役柄”に戻ることが前提なのですから。
人それぞれの舞台があるでしょう。共通して台詞は日本語、中国語であることは言うまでもありません。主たるストーリーは自分の身近に常にいる中国人との間で進んでいきます。彼らとの呼吸が最も重要であることは言うまでもないことです。
演者としてのパフォーマンスを考えれば、実はさらに重要なことが存在します。それは実は前回にもキーワードとして書いておいたのだが、中国という舞台での自らの“立ち位置”を決めよということです。
いかに演技が素晴らしくとも、舞台のどこで、どちらに向かって演技をするかが問題です。ここ中国ではこの点での失敗例がとても多いのです。つまるところ、あなたの演技を注視するのは現地の中国人従業員であると同時に、あなたの古巣である日本の会社です。立ち位置とは、ありていに言えば、その間のどの場所に、どちらを向いて立ち、演ずるかということです。
当然、中国現地法人とそれを統括する日本の組織との間に多くの駐在員は立つ、というより立たされます。私的な感想になりますが、多く、演者のその顔は、ちょうど水中で溺れる者が水面を凝視するように、日本の方だけを向いている場合がほとんどです。かつての私がそうでした。
自らの管理能力のなさを棚に上げ、不出来を環境や中国のせい、甚だしきにいたっては、中国人従業員個人にまで己の失態をなすりつける。役者としての良い顔を日本に見せたい一心なのです。
結論を急ぎます。ぺっぴり腰でもかまわない。まずは中国と、中国人と向き合う勇気を持ちましょう。見かけはたいそう礼儀正しい。が、自分たちに対して後ろ姿しか見せようとしない者に対して、どの種の人間が仲間と認めるというのでしょうか。
日本人と外国人という関係ではない、人間として付き合っていくあたりまえの基本とでも言うものを、忘れてはならないのです。本当のあなたの仕事は、演技は、その基盤があってこそ始まるといってもいいでしょう。
要は、演者としてまず台詞を覚えよ、共演者と打ち合わせを行い、自分の立ち位置を決めよ。そして本番を迎えよということです。
そうしてはじめて中国赴任の最終ステップ、本番の舞台を迎えることができます。台詞も覚えた、共演者との呼吸も充分。主役としてあなたの演技を見せる時なのです。ここへきて初めて、あなたは全人格をかけ、あなたのやり方で目標に向かって一直線に進むことができます。
そしてこの段階に至れば遠慮は禁物。私たちにとって中国で経営することの本質は異文化間の大いなる衝突なのです。矛盾、対立が起こらないほうがおかしいといってよい。逆に言えば、この期に及んで、ただ民主的に中国人と仲良く仕事ができているというのは、中国的なものに大きく譲歩したフレンドリー上司、言い方を変えれば“頼りないリーダー”でしかない。適当に祭り上げられて終わりだ。中国人からも、日本からも。
ある時はこれが俺のやり方である。納得づくでは日が暮れる、相手の納得なしに首に縄つけてでも下の者を引っ張らねばならない時もあります。当然、それまでの信頼の貯金はどんどん目減りしていきます。反論や陰口はいたるところから出てくる、状況によっては本社にも報告しがたい判断を自らの責任において下さねばならぬ時もあるのがこの時期です。
自分の仕事をせよ。自分のビジョンを実現せよ。同時に、中国、中国人から目をそらしてはいけない。日本に背を向けて演技をせよと言いました。これはもちろん、日本に背けということではありません。この時期、中国の組織のありようを最も理解し、その進む道を示せるのはあなたしかいないはずなのです。日本に対しては、難しくても後姿で演技をするのです。そして、そのあなたの姿を正しく評価してくれる者は、必ず日本にいます。
理解者の姿が見えなくてもいいのです。元来、リーダーとはおそろしく孤独なものです。あなたの過去の優れた上司を思い出してはいかがでしょう。その上司と一緒に仕事をしている時、あなたは楽しかったですか?むしろあなたにとっては目の上のたん瘤、時に悔し涙を流すほどの横暴な上司ではなかったでしょうか。今、その上司の立場に立って考えてみて初めて、彼、彼女の孤独に気がつくというものではありませんか。
実の親にしてしかり、真の指導者にしてしかり、本当の偉大さはその元を離れてのちわかるものです。彼には彼のビジョンがあり、その実現のために勝負をしていたのだということは後になって理解されるものです。
おわりに
偉そうなことを書いてしまいました。
実際には、徒手空拳で中国にやってきて、安全を確保することも、中国語をマスターすることも、中国人の懐に飛び込むことも、そして自ら主役となって組織を動かす舞台を演ずることも、実はどれ一つをとっても決して容易なことではありません。私がそれをなしえたなどとは、とうてい言えないのです。その前提で、要は環境に流されず、路半ばで倒れることを恐れず、自分なりのビジョンをもって、この強大な国中国に臨んでいただきたい、と思っています。
(2021年 大晦日)
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