20年以上前に一度だけ読んだ短いエッセイなのだが、その内容をいまだによく覚えているものがある。細かい部分は違っているかもしれないが、こんな話である。
作者が地下鉄に乗っていた時の出来事。ある駅で二人の中学生ぐらいの子どもと中年男性が乗ってくる。おそらく親子である。
二人の男の子は車両に乗ってくる前から、なにやらわけのわからないことを大きな声で口々にわめき散らしている。ドアが閉まり電車が動き出しても静かにしようとしない。それどころか、今度は年若い方、たぶん弟、は入り口のガラスドアを握りこぶしでドンドンと叩き出す。
父親とおぼしき男性は、二人の行動をぼんやりと見ているだけで注意しようともしない。牧師という職にあり、日頃は人々におそろしく寛容である筆者もこれは困ったことだと不快に感じた。
さすがに見かねた乗客の一人が、父親らしき人物に注意する。
「公共の場ですから静かにした方がいいのでは…。」
言われた父親は、ふと我に返ったように、周囲の乗客に向かってこう言う。
「皆さん、誠に申し訳ございません。ただ、この子らは、たった今、彼らの最も愛する母親を失ったばかりなのです。どうか彼らの無作法を許してやってください。」
作者はアメリカ人の牧師さんロバート・フルガム(Robert Fulghum)。彼のエッセイ集は人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ (河出文庫)が有名だが、上の話はこの本の中の話であったか、もしかしたら別の本であったかもしれない。エッセイのタイトルも失念した。
ロバート・フルガムさんがこの話にどんな結論をつけたかということも覚えていないが、私に関しては、以来他人を軽はずみに評価してしまってはいけないという自戒のために、しばしば思い返す物語となった。
20年前といえば、企業の中間管理職の立場で、日常複雑な人間関係の中で悩み考え続けていた時期であろう。特に「相手の立場に立つ」という命題は、サラリーマンの、というより人として生きるために常に考え続けなければいけない大切な資質だと思っている。
以来ずっと、このことを考え続けてきたように思う。いまだ回答にたどり着けていないということなのかもしれない。
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