とりたて助詞の中でも難しい「意外さ」をあらわす「さえ」「すら」「まで」「でも」の違いについて考えましょう。
「さえ」と「すら」
ほとんどの場合同じ意味で使えます。ただ「すら」の方が古い言い方で、「さえ」の方がより広い範囲で使えます。「すら」が使えないケースだけ覚えておきましょう。
- 友だちにさえ裏切られた。
- 友だちにすら裏切られた。
「すら」が使えないケース
- (動詞ます形のあと)彼は外から帰っても、手を洗い(〇さえ/×すら)しない。
- (慣用的に「さえ」を使うケース)〇暇さえあれば…、〇君さえよければ…、×暇すらあれば…、×君すらよければ…
「さえ」と「まで」
「さえ」は「普通に考えて発生する可能性の低いもの」をとりたてます。例えば、友だちは普通あなたを裏切らないものなのに、「友だちにさえ裏切られた」と「意外」な気持ちを表現します。
「まで」もほとんどのケースで同じように「友だちにまで裏切られた」のように使えます。ただし、「まで」の方がより極端なモノ、通常あり得ないことを取り立てて意外を越えた「驚き」を示すこともできます。
- 〇 張さんの家には風呂場にまでテレビがある。(普通風呂場にテレビはない)
- △ 張さんの家には風呂場にさえテレビがある。
- 〇 友だちにさえ裏切られたよ。まさか君まで裏切るんじゃないだろうね。
- × 友だちにまで裏切られたよ。まさか君さえ裏切るんじゃないだろうね。
他の普通のことを暗示する「でも」
とりたて助詞は基本的に「他のことを暗示する」役割があるのですが、その力が強いのが「でも」。「でも」を使った文では他の言いたいことがはっきりしています。
- この問題は小学生でもできる。(言いたいこと→とてもやさしい。)
- この問題は先生でもできない。(言いたいこと→とてもむずかしい。)
まとめ
以上まとめると以下のようになります。
(以上、中上級を教える人のための日本語文法ハンドブックなどを参考にしました。)
コメント
非常に分かりやすく、大変参考になりました!
総じて日本語は、微細な感情を表わします。
興趣は尽きません。
先生、本当にありがとうございます。