見えるはずのものが見えないこと
昨年2020年は、コロナ関係でほぼ1年間にわたって日本に足止めされた。おかげで長く義理を欠いていた様々な場所へあいさつに出かける余裕もあり、以前勤めていた会社にも行った。30年近く勤めた会社である。かつて通いなれた本社への道をゆっくり歩いてみた。懐かしかった。と、会社の門を入る直前、なにやら違和感を感じ、「二度見」してしまった。
京阪電車の踏切を渡り、右方向、本社の正門を入っていくのだが、正面に京都駅の駅ビルが大きく見えたからだ。実は会社の門を入る直前のこの場所から、京都駅ビルが見えることを今回、初めて知った。嘘のような話だが嘘ではない。
京都駅ビルは1997年に開業している。筆者は2004年中国関連の仕事のために京都本社を離れたが、97年~04年の丸7年間は、毎日のようにこの踏切を渡り職場へ向かっている。毎日の通勤の風景の中には、京都駅ビルが大きく入っていたはずだ。しかし、見えなかった。すでに中間管理職である。職場へ向かう自分の頭の中はその日のスケジュールで満たされ、前方の風景は視野に入っていても認識できなかったのかもしれない。あるいは常に俯き加減で歩いていて、視野に入ることすらなかったのかもしれない。
退職後、目に映る風景がすべて異なって見えるというような先輩の話を聞いたことがあったが、実際にそうなのだと実感した。目の前の京都ビルにしばし眺め入る。厳しい時代を生きてきたんだなと、自分をほめたい気分とともに、わずかばかりの後悔と、それをはるかに上回る今後の生活への期待が湧いて来た。
見えるはずのないものが見えること
同時に子ども時代のエピソードを思い出してしまったのは年をとったせいだろうか。母親に連れられ初めて遠出したのは、神戸の須磨であった。おそらく小学校1年生の夏である。水族館を見た後、母親にせがんで、コインを入れて覗く双眼鏡で海を眺めさせてもらった。
そろそろ時間切れかなと思った時、水平線上に浮かぶ潜水艦を見た。図のような、ちょっと現実にはありそうもない、丸窓が横に並んだ型のものであった。が、私にはあまりにもはっきり見えた。母親はもちろん信じてくれなかったが、ウソではなかった。私は本当に見えたのだと言い張り、言い張るだけではなく、夏休みの宿題である絵にその潜水艦の絵を描いた。母親は困ったものだと思っていただろう。
おそらく現実にはあの時、海に潜水艦は浮かんでいなかったに違いない。しかし私の目に映ったというのも、一つの真実である。
人間の目というのは面白いものらしい。見えるはずのものが見えないこと。見えるはずのないものが見えること。そんなことは脳科学的に特段不思議なことではないそうだ。
どちらも人生においてたびたび起こることであるならば、見えるはずのものが見えないことより、見えるはずのないものが見えてしまうことの方が、はるかに幸せなことなのは言うまでもない。
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