- 先生(遅刻した学生に)「どうしたんですか?」
- 学生「バスが遅れたんです。」
上の「~んだ」を使った会話は「どうしましたか?」「バスが遅れました。」という会話とどう違うのでしょうか?学習者にとって難しい「~んだ」「~のだ」の使い方を「ドラえもん」中のセリフで理解しましょう。
ドラえもん「45年後、未来の僕がやって来た。」は感動的な物語。
いつものように、先生に叱られたり、ジャイアンやスネ夫にからかわれたり、相変わらずののび太君の前に、45年後の自分が現れます。立派なおじさんになった”のび太”は、ドラえもんの「交換ロープ」を使って現在ののび太と「体を交換」します。つまり45年後ののび太は現在の子どもののび太に、今ののび太君は45年後のおじさんになり、それぞれが一日を過ごすという物語です。
内容は実際に見ていただくとして、ここで材料にしたいのは45年後ののび太が未来に帰る時、最後に今ののび太君に言い残す次の言葉です。のび太氏のセリフの中の「~んだ」に着目しましょう。
- 生きることは、そう悪いことではないよ。そりゃあ、時には人と比べて、自分が劣っていると感じて、うつむくときもあるだろう。お金はある方がいいし、偉い人になるのは、素晴らしいことだろう。でも、そうあることだけが、よい人生の答えじゃないと思うんだ。生き方に、優劣や勝敗なんてないはず。よい人生、つまり生きる素晴らしさとは、どういうことなのか。いや、僕にもまだわからないんだけど、ささやかでも精いっぱい生きて、その時その時の自分を、自分で受け入れてゆく。そういうことの中に、ヒントがあると、僕は思えるんだ。ちょっと、難しかったかな。
- よし! 一つだけ教えておこう。君はこれから何度もつまずく。時には、もう起きあがれないほど、苦しい時もあるだろう。しかしだ。そのたびに君は起き上がる。何度も何度も起き上がるんだ。つまずいても、そのたびに起き上がる強さを、君は持っているんだよ。前より、もっともっと強くなろうとする力をね。そして強くなって、もっともっと生きてゆくんだよ。
生活也不是那么艰难的。有时候和别人相比,确实感觉自己比较差,有时候比较失落。要是有钱就好了,有地位也不错啊。不过,这样的人生并不就意味着是个美好的人生。对生活而言,应该是没有优劣胜败之分的。美好的人生,换句话说生活的美好到底是什么呢?嗯,其实我也不知道。不管什么时候,都全力以赴地生存,每个时刻的都要让自己能够被自己接纳。要说有什么提示,那就是“我就是你”。这对你来说也许有点难理解。好。那我就告诉你一点吧。你今后收到很多挫折。有时还会遭遇几乎无法翻身的痛苦。不过,每次你都能站起来,不管多少次都能站起来。不知不觉中,就拥有了能从困难中站起来的那份强韧,那是一种比之前更强大的力量。然后你会变得强大,生活也越来越好。
「~のだ」について再考
「~のだ」は「からだ」「わけだ」と同じく「発話を取り巻く状況との関連付け」を示す表現で「理由」「解釈」「言い換え」「発見」「再認識」「前置き」「命令」などなど、状況に応じてさまざまな意味を表すと言われています。しかしこれではわかりにくいですね。
もう少し簡単に言うと、「説明する」時に使う。疑問文にすれば「説明を求める」時に使うといってもいいです。が、ここではもう一歩「~のだ」の本質に迫ってみたいと思います。
みなさんのよくやる間違いの中に次のような文があります。
△ どうしてパーティーに行きませんか?
実はこの文は文法的には正しいのですが、ちょっと変なのです。つまり、「どうして」という疑問詞に「ます形」を使うと、ネイティブには不自然に聞こえてしまうのです。これは、
〇 どうしてパーティーに行かないんですか?
とした方がいいのです。
なぜか?それは「どうして」は理由を聞く疑問詞です。当然ですね。だったらこの質問をする人は相手に対して「関心」があり、その関心を相手にわかってもらうために「~んです」を使う方が自然なのです。
つまり「~のだ」の本質的意味は「聞き手に同調・協調してもらいたい気持ちが強い時」に使いたくなる表現だということなのです。
45年後の自分に話しかける時、どんな気持ちになるでしょうか?
45年前の自分でなくてもいいです。例えば今あなたが20歳なら、15歳の時の自分、8歳の時の自分に言ってあげたいことがあるはずです。そんな気持ちが「僕には思えるんだ」「起き上がるんだ」「君は生きてゆくんだ」という45年後ののび太氏の表現の中に感じることができるのではないでしょうか。
参考文献:「日本語文法学習者によく分かる教え方10の基本」藤田直也著 を参考にしました。
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